石川県史だより 第49号 平成22年1月
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石川の文化遺産と自然災害への備え

金沢大学理工研究域 環境デザイン学系
北浦 勝・宮島昌克・池本敏和・村田 晶・安達 實

1.はじめに

 前田利家が加賀百万石の礎を築いてから、既に420年以上が経過する。江戸時代、幕府につぐ石高を誇る加賀藩は人口も多かった。歴代の藩主は学問を振興し、書物や美術工芸品の収集に努め、染色工芸、金箔や和菓子づくり、お茶やお花、能、謡などを奨励した。藩主の居城がある金沢は犀川と浅野川の2つの川と、小立野台地や寺町台地の河岸段丘や丘陵、金沢平野などから成り、自然の起伏を生かしたまちづくりがなされて今日に至っている。すなわちまちなかには用水が流れ、斜面には草木がはえ、大きな道から小路までが有機的に配置された。しかも幸いなことに江戸時代以降、大火はあったが復興を遂げ、豪雪や洪水など自然災害はあったが、壊滅的な被害を受けることはなく、戦争で爆撃を受けることもなかった。したがって昔ながらの城下町としてのまちなみや見所があちらこちらに残り、芸能や美術工芸品などが今も愛され、使われている。
 筆者らはこれらはもとより、歴史的な建造物と親しみ楽しむ生活ともほとんど無縁であった。今から18年ほど前に兼六園の中にある日本武尊の銅像(写真1)を支える石積みが破損しているので、診て欲しいと石川県から依頼を受けた。筆者らの誰一人、学生時代に石の積み方を教わったことはなかったし、また学生に教えたこともなかった。だから「引き受けられません」と一度はお断りしたが、長い間金沢に住んでいるからという理由だけで結局は引き受けた。銅像は明治10(1877)年の西南戦争で戦死した郷土軍人を慰霊するために造られた。100年以上の歴史を刻んでいるうちに台座石にひびが入り、石積みも緩んできた。石積みを一から勉強し、多くの人に教えを乞い、県や請負業者さんらの協力を得て、石そのものの強度実験や石積みの耐力調査を実施し、地元の名石工さんに石を積み直してもらった。これが縁でその後、金沢城の石垣修理、金沢のまちなかを流れる用水の土木技術的価値、金沢市の東山ひがしや主計町,輪島市門前町黒島などの重要伝統的建造物群保存地区の防災計画、石川県の近代化遺産調査、平成19(2007)年能登半島地震で震害を受けた総持寺祖院の復興、七尾城石垣修繕などの調査に参加させていただき、石川県内の文化遺産と減災に目を向けるようになった。本文では筆者らが関わった文化遺産を中心に調査結果と災害への備えについて述べる。

2.石川県による金沢城公園の復元整備

 明治以降、金沢城は陸軍の拠点となった。その後、終戦から平成7(1995)年まで金沢大学が入城し、世界でも極めて珍しいお城の中の大学として有名になった。金沢大学が山間地へ移転してからは県が金沢城公園として一般開放するとともに、兼六園と一体となった金沢のシンボル空間とするために、できる限り史実に基づいた復元整備に努めている。これまでに五十間長屋(写真2)や菱櫓、続櫓を復元、平成18年度から26年度にかけては金沢城三御門の整備、すなわち河北門の復元、石川門の保存修理、橋爪門の段階復元を実施中である。また城の外縁部を石垣と調和した風格のある景観とするために、いもり堀の段階復元も進めている ※1)。県は河北門の復元などに市民が主体的に参加できるように、平瓦や壁板を寄進して名前を記す事業を実施している。これはふるさと納税制度を活用したものである。
 筆者らは五十間長屋などを支える石垣の調査を担当し、寛政11(1799)年の金沢寛政大地震による石垣の変状が地盤の軟弱さと関わっていることを明らかにした。また五十間長屋などの完成直後(平成13年)に常時微動調査(風や交通、海の波などにより、どのような地盤でも構造物でもごくごくわずかにいつも振動している。これを高感度の地震計で計測し、地盤の良し悪しや構造物の健全度を推測する調査(写真3)を実施し、10年後、20年後にも測定することにより、健全度が維持されるかどうかを捉えようとしている。

3.金沢市による歴史遺産保存の取り組み

 金沢市では歴史遺産保存の重点事業として辰巳用水、金沢城惣構跡、土清水塩硝蔵跡及び野田山・加賀八家墓所の各調査を実施している。辰巳用水は三代藩主利常のときに防火用水や城内の上水を主たる目的に造られた。今も兼六園やまちなかの用水に水を供給する水源であり、また自らもまちなかを潤し、田畑に水を送り込んでいる現役の農業用水でもある。金沢の景観に欠かすことのできない重要な歴史遺産であることから、流路の測量調査や発掘調査、三段石垣の調査などが実施された ※2)。筆者らは辰巳用水の隧道部や開渠部を調査し、その変遷や利活用の現状を知った。今年(平成22年)の始めに国の史跡に指定される見通しである。
 金沢市中心部には用水が55あり、総延長は150 kmにも及ぶ(図)。前田家の墓地のある野田山の山裾を流れる長坂用水に関しては、筆者らは取水口から排水口までを踏査した。特に法師の隧道(写真4)の調査や30年ほど前に廃止された旧取水口から新取水口までの踏査に力を入れた。廃止されてから30年しか経っていない用水跡は埋まり、草木が覆っていて、旧用水を辿ることは極めて難しかった。しかし長坂用水土地改良区の役員のご協力で何とか踏破できた。隧道部では工事の照明のために油を置くタンコロ穴の高さや配置などを調べ、灯りが満遍なく行き渡るように、配置や個数に工夫がなされていることを知った。また当時の測量精度を考慮して、隧道の両入り口から掘る場合に両方の穴が確実に出会うように、平面的に見ると隧道は「く」の字型に掘られている。このことはこの隧道でも確認できた。また、接合点付近では隧道の下流側から掘る穴はやや大きい目に、上流側からはやや小さい目に穴をあけ、水が上流側から下流側へ確実に流れるように工夫されていることも知った。このような考察をしたのは筆者らが最初であり、他の隧道でもなされている技術かどうかを確認したいと考えて いる。また3次元レーザー測量で隧道全体を捉えることも試みた。断面形状などのより詳細な構造が明らかとなり、目で見て分かりやすい図が描けることから、一般の方への説明がしやすくなった。法師の隧道は一昨年(平成20年)、金沢市の文化財に指定された。
 惣構とは安土桃山時代や江戸時代初期に城を防御するために造られた堀や土居(連続した土盛)から成る要害のことで、金沢城では二重にあり、内惣構は慶長4(1599)年に二代藩主利長が高山右近に、外惣構は慶長15(1610)年に三代藩主利常が篠原一孝に造らせた。まず堀を堀り、その土を城側に盛り上げて土居を築いたと考えられる。筆者らは絵図や古地図に描かれた藩政期頃の惣構堀を現在の地図と重ね合わせることにより、惣構堀の一部の地理的変遷を明らかにするとともに、保存整備の方法や活用法などを提案した。金沢市は遺構の一部を復元整備するとともに、一昨年(平成20年)金沢市指定の史跡に指定した。

4.世界遺産を目指して

 石川県と金沢市は金沢というまち全体を「城下町金沢の文化遺産群と文化的景観」なるテーマで世界遺産に登録しようと、コンセプトをまとめ、国に提案した。その結果、新たな課題に沿って一定の方向性が見えるまで、さらに調査を続けるようにとの評価を得ている。金沢は城や寺院群、道や用水網など城下町にとって不可欠の文化遺産が良好に残るまちである。しかもこれらの遺産が地形や自然の高低に巧みに取り込まれている。例えば用水はまちなかや上流部から川の水を取り込み、自然の高低を利用して、水を送りたい場所(平面的な位置と標高)へ送っている。また河岸段丘や山の斜面は樹々の緑に覆われており、高低のあるまちのいろんなところから緑の帯を眺めることができる。このように金沢は伝統文化やたぐいまれな伝統的技術と一体になって、都市の文化的景観を形成することから、近世日本の城下町を代表する都市遺産として顕著な普遍的価値を持つと、県と市は自己分析している ※3)。筆者らは夢の実現を目指して、土木技術的観点から価値を発見するなどの手伝いをしている。

5.石川の自然災害など

 石川の自然災害と言えば豪雪であるが、雪は毎年のことであるから、それに対する備えは一応できている。車道には消融雪装置が設置され、道の真ん中から地下水が小さい噴水のように吹き出し、雪を融かしている。歩道にもそれが設けられたり、あるいは歩道の下に温水パイプが敷設され、雪を融かしている。  
 「56豪雪」や「38豪雪」など一昔前まではしばしば大雪が降り、お寺や体育館、家屋が壊れたというニュースが新聞をにぎわせた。地球温暖化の故か最近は少雪で、雪による被害はあまり聞かないが、山間部で屋根雪下ろしが遅れると、(写真5)のように家屋が破壊する。北陸には頑丈な梁や柱で豪雪に抵抗する家や、屋根に融雪装置をつけている家がある。しかし雪が1 mも積もれば屋根雪下ろしをする家が最も多い。建造物関連の文化遺産も抵抗型や屋根雪下ろし型が多いようである。また特に軒先部が弱いので、軒先部分の雪が滑り落ちるような工夫がなされている屋根が一般的である。筆者らは雪の積もり方や重さと家屋の平面図や建設年度、すなわち抵抗力との関係を調査し、文化遺産を想定した構造物の破壊をコンピュータでシミュレートしている。  
 豪雪のほかには豪雨や地震などがある。一昨年(平成20年)、ゲリラ的な集中豪雨があり、55年ぶりの大雨が浅野川を氾濫させ、一部住家の床上や床下が浸水した。金沢市の最も南部に位置する寺津用水の一部が破損した以外は、文化財には大きな被害はなかったようである。しかし豪雨の集中する地域によっては傾斜面が崩壊するなどの被害があるかも知れないから、県や市は水防態勢のより一層の強化や見直しを図っている。  
 地震に関しては寛政11(1799)年の寛政大地震以来、金沢を強い地震が襲ったことはない。この地震では城下で多くの人が亡くなり、家が壊れ、城の石垣が破壊し、辰巳用水の隧道が落盤したと古文書に記されている ※4)。現在もまちの直下を森本・富樫断層が横切っている。政府の地震調査研究推進本部の調査によると、同断層により、今後30年間に最大に見積もってマグニチュード7.2の地震が5%の確率で発生すると言う。3年前(平成19年)には能登半島の門前町で地震があり、亡くなった人が一人、負傷者多数、家屋の倒壊も多数あった。総持寺祖院の僧堂も損壊したが、2年後の昨年(平成21年)3月に再建された。文化遺産に対する地震への備えをこれからますます充実していく必要がある。  
 北陸では春から夏にかけてフェーン現象が発生することから空気が乾燥し、大火事の発生することが多かった。因に辰巳用水が造られた理由の一つが城下の防火であった。江戸でよく知られた大名火消し、加賀鳶の流れを汲む金沢の消防署と消防団の活躍に期待するだけではなく、市民一人ひとりの防火への心構えが問われている。火事はすべてのものを灰燼に帰すからである。

6.おわりに

 文化遺産の調査研究をして、石川が歴史の中を着実に歩んで来た証拠を多数みつけることができた。しかしたとえ文化遺産に指定されても、また火事や自然災害に遭わなくても、あと数十年のうちには朽ちてしまいそうな遺産が多くある。言うまでもなく、遺産は我が国の長い歴史の中で育まれ、今日まで守り伝えられてきた貴重な国民的財産である。多くの方々の努力で、これらがいつまでも遺産として残ることを強く望むものである。
 昨年(平成21年)1月、金沢市は歴史的風致を良く残し、それを維持し向上させている都市として、亀山、高山、萩、彦根の各市とともに歴史都市の第一号認定を受けた。文化財保全や文化的景観向上に国が財政支援するので、市は歴史文化ゾーンの整備や緑地整備、無電柱化を今後も押し進めるとしている。また昨年6月にはユネスコ・クラフトの創造都市へも登録された。「手仕事のまち」を世界に向けてさらに発信するために、人材を養成し、文化と産業の連環に向けた課題に挑戦し続けている。
 筆者らはまちの格を上げることや、交流人口の増加を夢見て、土木技術的観点から石川の文化財の価値を発見し、自然災害などで失われないような工夫を考え続けていく積もりである。

参考文献
※1 http://www.pref.ishikawa.jp/kouen/siro/01seibikeikaku/seibikeikakuzu.html,平成21年10月1日取得.
※2 http://www4.city.kanazawa.lg.jp/11104/bunkazaimain/torikumi/torikumi.jsp,平成21年10月1日取得.
※3 http://www4.city.kanazawa.lg.jp/11104/sekaiisan/index.jsp,平成21年10月1日取得.
※4 津田政隣:政隣記、加賀藩史料第十編、pp.880-902.



兼六園の中にある日本武尊の銅像

写真1 日本武尊の銅像 平成4年の大規模修理時に筆者らも調査に従事。



五十間長屋

写真2 五十間長屋 平成13年完成。筆者らは建物の下にある石垣の調査に従事。



地盤の良し悪しや構造物の健全度を推測する調査

写真3 五十間長屋内の常時微動調査 完成直後に実施。



金沢市内の用水

 金沢市内の用水(金沢市発行「金沢用水めぐり」より) 筆者らは市内中心部の用水を調査。



法師の隧道

写真4 長坂用水の法師の隧道 筆者らは測量や形状、タンコロ穴を調査。



雪による家屋の崩壊

写真5 雪の重さで破壊した家屋 雪荷重と破壊の関係を調査する筆者ら(平成18年1月30日「北陸中日新聞」掲載写真)。


筆者
北浦  勝金沢大学・名誉教授
宮島 昌克金沢大学・教授
池本 敏和金沢大学・助教
村田 晶金沢大学・助教
安達  實金沢大学・非常勤講師
石川県史だより 第四十九号
平成22年1月29日発行
編集 石川県立図書館史料編さん室
県史編さん班
発行 石川県立図書館
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