石川縣史第二編の再刊また成り、こゝに之を頒布せしむるに至れるは余の頗る滿足する所とす。而してその功程は、第一編が昭和十三年三月に出版せられたる後に初り、内容の訂正改善と印刷校正との爲に日子を費しゝこと僅々一ヶ年に過ぎず。これを以て未だ完全無缺の域に達せりとは稱すべからざらんも、その成果を前出のものに比するに、誤れるを正し紛はしきを避け、繁縟を省き缺逸を補ひ、讀者をして能く要領を捕捉し易からしむるに努めたる點尠少にあらず。蓋し概ね進歩の跡を認め得べきなり。 抑石川縣史第二編の記述する所は、天正十一年前田氏の初祖利家が佐久間盛政の遺封を受けて金澤に入城したる時に起り、明治四年第十四世慶寧が藩知事を罷めて東京に移りし時に至るまで、前後二百八十九年に亙る施政の張弛と藩勢の隆替とに在りて、その間時と所とに依り多少の他領を交へたることなきにあらずといへども、之を大觀すれば終始を一貫して加賀藩と大聖寺藩との宗支二家が占有する所といふも殆ど不可あらず。吾人はこの意味に於いて一府縣を郷土史研究の對照とする場合に、我が石川縣の藩政時代を闡明せんとする者の、全國に多數の類例を見得ざる特異相に遭遇すべきを認め、之を小藩分立し若しくは易世轉封のことありし地方に比較して非常の利便あることを思はずんばあらず。これ縣下の郷土史家に對して、益精進せんことを冀望する所以なり。 本編中大聖寺藩に關する記事は、尚初版に於けるが如く之を加賀藩のそれに比するに、量に於いて甚だ寡少なり。これ大聖寺藩の政治經濟が悉く加賀藩の指導誘掖する所に係りたると、その封祿の輕微なりしとに因り、縣下の大勢を動搖せしむべき底の事件なかりしを以ての故にして、該藩自身の細故に就いては全く筆にすべきものなきにあらず。幸に近時大聖寺藩史の出版せられたるものありてこれを悉くせり。讀者併せ見るべし。 之を要するに、本編の内容が能く精緻透徹なるを得ざる憾あるべきは前に之を言へる如くなるも、老齡六十七歳を迎へたる編纂者日置謙氏の切々たる努力に對してはその劬勞を多とすべく、讀者は之を基礎として更に局限せられたる問題の探討に歩を進めば、得る所必ず少からざるべし。これを再刊の辭となす。 昭和十四年三月 石川縣知事近藤駿介