我が國の府縣を以て史的研究の單元とすることは、府縣か行政區畫を形成せざりし以前に在りて、甚だしく有意義ならず。然りといへども、府縣の政務に與り、若しくはその自治體を構成する者にありては、須らく府縣を單元とする種々相に通曉するを要し、啻り之を現勢の上に察するのみならず、亦古今に亙りて因果を明かにせざるべからずとせば、則ち府縣設置より以前に遡りて、その地域に生じたる興亡隆替の跡を繹ね、文物進展の次第を究むるも、大に理由なしとはすべからざるなり。然り而して方今各府縣中、その若干は既に府縣史編纂の功を竣り、若干は現に進捗の半途に屬し、若干は未だ着手せず。是を以て石川縣が、曩に縣史兩卷の印刷頒布を遂行し得たるものは、之を他の同級自治體に比し、敢へて先鞭を着けたりとはすべからざるも、亦後塵を拜するものにはあらず。計畫の時宜に適ひ時機の中庸を得たるものとすべし。 這次發行したる石川縣史第三編の内容は、第二編の内容と表裏を爲すものにして、彼此相補ひ、以て藩治時代の全豹を窺ひ得べきものとす。何となれば、此に在りては文化の推移を横脱し、彼に在りては施政の經過を竪説したるものなればなり。而して殆ど獨斷擅行に近かりし封建諸侯の統治と、細大悉く國家立法の下に行動する今日の政務とは、相交渉する所絶無といふを憚からずといへども、文化に在りては全く之と面目を異にし、眼前の存在一として過去の母胎より産出せられざりしはあらず。學問然り。美術然り。民情風俗産業經濟、いづれかそれ然らずとせんや。されば本編は、加賀・能登二國の往時に於ける文化の形勢を究めんとするものゝ爲に資料を提供し、これと同時に、石川縣の文化が今日の状を爲したる因由を考索する者に對して、亦決して無用の長物にあらざるべきを思ふ。 本編を見るに、通卷を六章に大別し、更に細分して三十六節となし、頁數無慮一千三百、插むに七十有餘の圖版を以てして讀者の興味を補ひ、附するに年表と索引とを以てして、その利用を助く。記述の體裁凡べて第一・第二の諸卷に等しく、功過を測るに亦相類するものあるべし。蓋し縣史全體に關する豫定の計畫は、本編を以て藩治時代の記述を終り、次に明治時代を一期とする縣治の概要を叙し、更に進みて史的研究を補助する各種の方面より石川縣を解剖し、以てこの多年に渉れる編纂事業に大團圓を告げしむるに在り。然らば則ち第三編は、編纂の行程に於ける峻坂の絶巓に達したるものとすべく、高きに登るの難きに比して、卑きに降るの易きを世態の常なりとせば、その終局の目的を達し得べきこと、當に期して待つべきなり。聊か一言を卷首に加へて、以て序となす。 昭和四年十二月 石州縣知事中野邦一