天正九年八月前田利家能登に封ぜられしが、十一年四月加賀石川・河北二郡を併せ領するに及び、移りて金澤城に治す。是に於いて子孫奕世二百八十七年に亙り、北陸の中央に盤踞して、天下侯伯の首班に居るの基礎初めて成る。然りといへども當時佐々成政の隣邦越中に在るあり、虎視眈々として我が虚に乘ぜんとせしを以て、未だ枕を高くして眠るを許さゞりしが、十二年九月成政の進んで末森城を襲ひ、敗を前田軍に取るに及び、利家の北陸探題たる地位は、牢として拔く可からざるに至れり。