奧村が妻、つねは心もいとしづかに、萬の事に物おそれをし、青柳の絲をも欺計につよからぬ女性なるが、信長公の御母堂の事聞つる事ありとて、かひ〲しき女房二三人相ともなひ、長刀をよこたへ、よるひるのさかひを分ず城を打廻り、戰つかれ眠がちなる番衆をば、事の外にいかり禁め、或はおだやかに睡をさまし、或はゆるかせもなく番をつとめぬる處をば、假名實名をしるし付、さぞくたびれさふらふらめ、やがて金澤より後卷なさるべきとの事にておはしますなどゝ云慰め、或時は粥を大器に入持せつゝ、所勞のほどをかんじ、或時は夜寒の袖の露をはらはんがため、紅葉を燒酒をあたゝめ、塀うらの睡をさましければ、悦あへりつゝ、昔の巴・山吹・閑(シヅカ)の前などは一旦の勇こそあらめ、かく籠城になれもやし給ふやうにおはしますよとて、城中の人々此義に耻つゝ、義を思ふ事日々に新にして夜々に深し。寔に金石をも欺く計に諸卒の心一致し、たのもしうぞ見えたりける。 〔甫庵太閤記〕 ○ 成政提精兵八千。攻能登末森城。加賀驍將奧村永福所守也。成政下令曰。利家聞圍城必赴援。宜及其未至而急援之。於是百道齊進。城兵僅可三百。致死力拒戰。敵衆競進。蟻附而登。將士皆知不可守欲自殺。奧村妻有智略。諫止之。短裳帕首。佩長刀煮粥。使侍婢齎之。親巡陴。執匙食兵士。勵之曰。聞昔楠某。以數千之兵。禦百萬之衆。遂立大功。况此區々之敵。盍亦努力保夕乎。明日金澤援兵必至。乃可以破敵而建大功也。奧村見之喜曰。吾室壯烈過男子遠矣。然籍婦人之力而守之。吾耻之。扼戰益力。兵士亦奮不顧死。 〔事實文編〕