既にして村家津幡に至りて軍を調ふ。世子利長は松任城に在りしが、又來りてこゝに會せり。津幡の城將前田秀繼・寺西秀則等利家に説きて曰く、機既に遲れたり。公の末森に到るは、恐らくはその陷落の後にあらん。如かず姑くこゝに留りて更に戰報を待たんにはと。利家色を作して曰く、我弱年より成政と武を爭ひて曾て讓らず。如何ぞ奧村・千秋・土肥輩の死を默過すべけんやと。秀繼・秀則又卜者を招き進軍の吉凶を筮せしめんと請ふ。利家一室に入り、村井長頼を延きて軍議を定め、出でゝ卜者を見て聲を勵まし、『とかく又左衞門後卷するぞ。見よ。』といへり。卜者將に懷にする所の卜筮の書を出さんとせしが、利家の意既に決するを知り、直に『時分も、星も、能御座候。はや〱と御出馬。』と應へしかば、利家は笑ひて彼が卜筮の絶妙なるを賞し、馬に跨りて征途に上れり。利家の臣出陣に後れたるもの陸續として至り、之を檢すれば二千五百餘人を算したりき。 十一日黎明前田軍は羽咋郡今濱に入りしも、敵の川尻を守るものゝ知る所とならざりき。今濱以北兩路ありて、一は成政の本營坪井山に至り、一は末森に達すべし。村井長頼乃ち利家に乞ひ、敵本營の不意を撃ちて之を一蹴せんとす。利家曰く、不可なり。成政固より軍事に長けたり。彼能く地利を擇びて營を布くべし。我は寧ろ直に末森を救援せんと欲す。今日の事宜しく我が命に背くこと勿れと。是に於いて長頼は不破勝光等と共に進みて成政の先鋒を破り、利家は利長と共に中堅を率ゐて城後に出でたり。敵將野々村主水・本庄市兵衞・齋藤半右衞門・櫻勘助等銃を集めて之を防ぐ。利家疾呼し、左右に命じて之を討たしめしに、篠原一孝・富田六左衞門重政、馬廻組の士半田半兵衞・山崎彦右衞門等縱横力戰せり、城兵之を見て亦勢を得、門外に突出して大に奮鬪し、斬獲する所七百五十餘級に及ぶ。利家乃ち城に入る。この時永福等、僅かに本丸の一區を保ち得たりしのみ。 一、末守之城御後卷被爲成、大納言樣・利長樣彼城へ被成御移候所、佐々内藏助本陣坪山より馬廻三千斗にて、御父子樣被成御通候庭、御跡より末守之城迄押詰、返攻可仕行相見候處、大納言樣は末守本丸え被爲入、利長樣は二ノ丸へ被成御座。其砌本多三彌御家中被居候處、利長樣御近所え被召寄、内藏助旗本退口之御手立御談合被遊候。其時拙者(横山長知)、利長樣御鐵炮頭上坂又兵衞・稻垣與右衞門抔打交、御先手え罷越有之處、從利長樣、御近所へ罷越可有之旨度々御使者被下候付而、二ノ丸迄罷越御傍に罷在候故、申立に可仕働無御座候。于今無本意存事候。 〔横山長知武功書〕