初め利家の成政來襲の報に接するや、直に徳丸城の長連龍、七尾城の前田安勝以下に檄し、以て末森に救援せしめき。諸將乃ち相會して軍議せしに、利家にして假令金澤より出馬するも、成政の軍は之を途上に妨げて目的を達せざらしむべく、之に加ふるに末森城の陷落したる流聞あるを以て、進撃の遂に徒勞に屬すべきを論ずるものあり、爲に逡巡して決する所なかりき。獨り連龍は、成敗の如何に拘らず、利家の命のまゝに從ふべしどなし、手兵を率ゐて白子濱に至りしに、戰鬪の已に終れる後なりしも、利家は脇田善左衞門・野村七兵衞二人を遣はして之を迎へしめ、彼が他の諸將の意に反し來り會せる勇を賞して、『拔群之志無比類』といへり。而も連龍は出師の機を失へるを愧ぢ、刀を拔きて自らその髻を絶ちたりき。 坪井山の本營に在りし成政は、利家の既に來援して越中軍が敗衂せる状を聞き、自ら手兵を率ゐて雌雄を一擧に決せんと欲したりき。然るに利家は速かに隊形を整へ、一陣に村井長頼、二陣に奧村永福・種村三郎四郎、三陣に不破勝光、四陣に利長、五陣に利家の手兵を備へて敵の逆襲を待ちしかば、成政は利家の軍事に長けたるを感じ、戰を交へずして軍を班せり。利家或は成政が津幡城を襲ひてその餘憤を漏らさんことを恐れ、遙かに之に尾して彼が行動を監視せしに、成政は津幡に注目することなく、鳥越附近を過ぎて馬を納れたりき。是より先、鳥越の城主目賀田又右衞門・丹羽源十郎は、利家の末森に破れたりとの訛傳を得、直に守備を捨てゝ逃走せり。成政乃ち城中の空しきを知り、一矢を費さずして之を收むることを得たり。利家之を聞きて大に怒り、急に兵を遣はして城を復せんと欲せしが、諸將皆諫止せしを以て之に隨ひ、十二日を以て金澤城に入る。而して又右衞門等に對しては、多く年所を經るの後、向その怒を解かざりき。 目賀田又右衞門、聚樂にて、蒲生飛騨殿・淺野彈正殿を頼申出。御兩人より徳山五兵衞・齋藤刑部を以て被仰(利家に)上候は、最前越中鳥越にて面目を失申候間、あたまをそり御咄衆之内にも被召仕候樣にとの事に候。大納言(利家)樣其時色々御談義被成、惣而成敗をせんとおもふものも、又ゆるす事も有もの也。然共第一城・とり出などを預、留守をさせ申者の明退事は、侍の見せしめ也。此又右衞門成敗をせで不叶ものに候へども、飛州・彈正に對して命をゆるし申候。召仕候事はおもひもよらずと御意之事。 〔利家夜話〕