天正十五年六月九日、富山城主佐々成政は、釆地新川郡を收められて肥後に移封せり。利家乃ち秀吉の命により、假にその舊領を統治せしが、文祿四年秋に至りて之を増賜せらる。次いで慶長二年十月、利長は守山城より富山城に移り、三年四月利家の致仕するに及びて、射水郡氷見庄は加賀石川・河北郡及び能登口郡の一部と共に利家の養老領となり、礪波・婦負・新川三郡及び射水郡の殘部は能登鳳至・珠洲二郡と共に利長の領となりしが、四年閏三月利家薨じて利長の盡く之を併有することゝなれり。