十四年秀吉京師に方廣寺の興造を命じ、後數年にして成る。十六年利家が領内土民の刀劍を沒收したるは、その鐵材を供給すると共に、彼等の武器を褫奪して治安の便を助くる秀吉の政策に從ひしなり。 一、矢田村一、院内村一、しなの田村一、谷屋村一、もろ(マヽ)村入町 右大佛殿之釘かな物之御用として、諸國在々百姓共之刀脇指を改可申之旨被仰出候之間、在々家並に刀・わきざし・鑓・鐵炮有次第可出候。若かくし置においては、後日聞出候共可成敗候。給人として急度令糺明可上之候。其上村々之長百姓お山へ召出、せいしさせ可上候也。 十一月六日(天正十六年)印(利家) 青木善四郎殿 長田猪之助殿 〔菅君雜録〕 ○ 大佛殿の釘かな物の爲御用、國々在々百姓共の刀脇指を改て可上旨被仰出候間、代官所々在々家並に、刀・脇指・鑓・銕炮有次第可出候。若かくしおくにおいては、後日に聞出候共可成敗候。急与令糺明可上候。其上村々のおとな百姓共にせいしをさせ可上候也。 十一月六日印(利家) 三輪藤兵衞殿 大井久兵衞殿 〔三輪氏藏文書〕