十八年利常は家康を見んが爲に駿府に赴き、五月二十日登城して白銀五百枚・綿五百把・絹二百疋を上り、隨從の士横山長知・奧村榮明・奧村榮頼も亦各物を献じて拜謁せり。尋いで二十二日利常駿府を發して江戸に至る。その行裝甚だ盛にして、道途臣僚僕隸を以て充滿し、偶東下の途に在りし義演准后がその行を遮られて大に苦しみたることは、義演准后日記に載せられたり。利常が秀忠に謁したる状の果して如何なりしかは今之を詳かにせずといへども、必ずや舅氏と佳壻との關係を一層親密ならしめしものあるべく、之によりて利長も亦益〃心を安んぜしなるべし。 かくて利長は、暫く餘命を繋ぎ得たりしが、その最期の近くに及びて、炬燵を置き、爐火を熾にし、侍臣等皆額に汗するの熱を感ずるも尚寒に堪へずとなし、遂に顏面と腹側とに腫脹を見しかば、こゝに初めて生母芳春院を見んことを希ふの意を漏らすに至りたりき。 尚々つまり候てはゝにあい候てはいらざる事に候。ちとまへかどにあい度候。 わざと申入候。仍我らわづらいちとおもり候。つらなどもはれ、かたはらなどもうき申候。はやちかづき申かと存候。かやうに候てはほどなき物故、ようたいくすしへたづねられ候て可給、其くちしだいに、すこしもまへかどにはゝにあい度候。しよくじは此中六日まで、よくすゝみ申候。以上。 十月卅日(慶長十八年)ひ(利長) づしよ(神尾之直)參 〔芳春夫人小傳〕