利長の薨じたる後、六月上旬芳春院は將軍秀忠に請ひて曰く、今や利長已に空しく、妾にして江戸に在るも質として何等の價値あることなし。願はくは今侯利常の生母壽福院を金澤より出府せしめ、妾に暇を賜ひて國に就かしめよと。、將軍乃ち之を許したるを以て、芳春院は同月中旬高岡に至りて愛子利長の墳墓に詣で、次いで金澤城の本丸に入れり。その江戸に在りしこと前後十五年なり。