この時代に於ける加賀・能登兩國基督教の状況は、之を契利斯督記に徴して略明らかにすべし。 吉利支丹寺日本に有之候所々は、長崎・大村(中略)・加賀國金澤。 加賀國。金澤より宗門多出申候。内侍七八人も出申候。此の所に先年キリシタン寺御座候。小松より宗門多く出で申候。 〔契利斯督記〕 基督教が此の如く枯木再び花咲かんとせし際、徳川家康は葡萄牙・西班牙兩國人が、教義の傳道によりて人心を蠱惑し、遂に我が國上を簒奪せんとする野心あるを疑ひ、且つ邦人の基督教信者が間々之に惑溺せる餘、愛國心を忘失するものあるの現状に鑑み、慶長十八年十二月外教禁止令を新たにせり。