この月晦日利常京師に至りて北野原に本營を布きしが、五月朔日二條城に於いて家康に謁し、尋いで三日竹田に抵りて次し、四日天神森に、五日砂村に、六日久實寺に入れり。同日藤堂高虎は大坂軍の長曾我部盛親と矢尾に戰ひて之を破り、井伊直孝・榊原康勝も亦木村重成の軍と若江に戰ひて敵將を殪し、士卒各首級を携へて歸營せり。利常之を見て羨望に堪へず、その臣伴八矢・堀田左兵衞二人に謂つて曰く、越前宰相若し今宵軍を進めば、我が隊その後へに尾して先出すること能はざるに至るべし。我當に速かに前進せんと欲す。汝等往きてその道路を檢せよと。二士乃ち走せ至りて之を視るに、狹隘にして溝渠多く到底進出を許さゞるものあるを以て、直に之を復命せり。是より先、利常は臣不破加兵衞を藤堂氏に、北川久兵衞を井伊氏に屬せしめてその戰状を視察せしめしが、未だ歸り報ぜざりしを以て、二人の戰歿せしにあらざるかを疑ひしに、後皆來りてその獲たる首級を上りしかば、利常悦びて之を將軍の本營に送致せしめ、且つ敵兵若し城を出でゝ戰を挑まば、我は直に之と鋒を交ふべく、敢へて遲疑するを許さずと令したりき。この夜家康は使を松平忠直の營に派し、明朝天王寺に向かひて家康軍の先鋒たるべきを命じ、利常も亦同時に岡山口の秀忠軍の先鋒たるべき命を得たり。