大阪夏陣の終るや、利常は閏六月廿一日秀忠に隨うて入朝し、八月十五日を以て京師より藩に歸り、諸將士の功を論じ賞を行ひたりしが、元和三年三月に至り重ねて從軍者の勞を慰めて陪隸の末に及び、四年正月には祠堂を寳圓寺に設け、七月十日米百石を寄進し、商人越前屋孫兵衞・平野屋半助・越前屋二郎兵衞をして之を管理せしめ、年々四割の利子を以て庶民に貸附し、その一割を三人の手數料に充つるの外、三拾石は之を寳寺に與へて陣亡者の供養を行はしむるの制を定めたりき。