かくて初期に於ける加賀藩の能樂は、金春流又は觀世流にして、就中前者最も勢力ありしが、利常の時に至り初めて江戸の寳生大夫を祿仕せしめたりしが如し。案ずるに、享保十九年十二月寳生大夫友精の加賀藩に提出したる寳生家譜には、寳生四郎左衞門が大阪陣の頃初めて前田大納言に隨從せることを記せり。然れども大阪陣と大納言利家とは時代に於いて一致せざるが故に、必ずや中納言利常を誤傳せしなるべしと思はる。利常の時一般に能樂の流行したりしは、長連頼が假面を侯に呈して感賞を得たる文書の今に存するを見ても、亦その一端を察するに足る。 私元祖(寳生友精)より代々將軍家に相勤申候處、大阪陣の砌暫時權現樣えは觀世大夫奉隨附、大納言樣えは私元祖四郎左衞門奉隨附罷在、御合力も被下置候。其後權現樣一統の御代に罷成候節、又々將軍家え被爲召候而罷出、其節より御家(前田氏)に御出入に罷成來候。 〔寳生系譜〕 ○ 尚々江戸へ召連人のかず、最初より大かた定有之間、其心得に候べく候、さし。 かへす〲其方の儀、追て申入候べく候。 書中之通令披見候。先度參候處、いろ〱ちさう共祝著此事に候。仍而我等江戸へ於參者召連候樣ニ仕度之旨、先以きどなる(く脱カ)被申樣滿足申候。大かた此度召連候もの定り候間、さやうに心得被申尤に候。自然人數もすくなく候ば、かやうに被入念被申越候はゞ、何時に而も案内申入候べく候。將又うたせられ候面、いろ〱給候。一段見事に出來候。これ又心ざしのほど祝著候。謹言。 正月廿五日 長(包紙)九(連頼)殿利常 〔長家文書〕