利常は小松城に入りし後、大聖寺侯利治の爲に老臣本多政重の女を納れて室たらしめんと欲し、政重を召して之を諭しゝに、政重は命の辱きを謝せしも、聊か思ふ所ありとして固辭せり。是に於いて利常は再三之を強ひたりしに、政重自ら小松に至り、利常に謁してその命を奉ずる能はざる理由を述べたりき。政重曰く、臣今君の恩命に從ふ能はざるもの、その理由凡そ三あり。臣にして若し大聖寺侯の婦翁とならば、人の情として必ず大聖寺侯を親愛すべし。是を以て一朝主君加賀侯にして大聖寺侯と釁端を開くことあらば、臣は則ち白頭に兜鍪を戴き、馳せて大聖寺に赴き、敢へて主君に抵抗せざるべからず。此の如きは豈主君に忠なる所以ならんや。これ臣の女を上らざる理由の一なり。臣又以爲く、大聖寺侯の室たらんものは、須く之を大藩の貴嬪より採るべし。人誰かその子女を愛せざるものあらんや。その子女を愛すれば必ず延きてその贅壻に及ばん。大聖寺侯にして大藩と婚を結び、而して萬一邦家有事の日に會せば、加賀侯は大聖寺侯を通じて強大の援兵を得べし。これ臣の女を上らざる理由の二なり。且つ臣の女は、之を本願寺の家宰粟津大進に嫁せしめんと欲す。大進にして臣の女壻とならば、藩内一向宗の門徒たるもの誰か我が主君の命に服せざるものあらんや。これ臣の女を上らざる理由の三なり。臣是を思ひて敢へて侯の懇命に背くと。利常、政重のいふ所を理ありとし、卿の女大進に嫁するの日爲にその粧奩の具を贈らんと約したりき。