光高人と爲り聰明秀發、容姿優美にして膂力あり。少にして武技に通じ、長ずるに及びて和漢の學に達す。その仁慈にして寛宏、師傅を敬し長上を尊ぶことの篤きも亦天性に出づ。嘗て江戸の藩邸に白鷺ありしが能く人に馴れ、光高の指揮に從ひ進退上下し、又毎にその出入を送迎せしかば、深くその愛する所たりき。一日白鷺飛んで守邸の吏某の庭中に下りしに、某は侯の愛する所たるを知らず、捕獲して同僚に饗せんとせり。同僚來り觀て大に驚き、こは侯の愛鳥にして、之を殺したる某の罪の測るべからざる所以を告げたりき。某悔ゆといへども及ばず、即ち吏に至りて自首せしに、光高は、かの鷺惜しむべしといへども、禽鳥の故を以て人を罪するは能く余の爲さゞる所なりといひて止めり。光高又吉田大藏の作れる弓を藏し、將に之を將軍に献ぜんと欲したりき。然るに一夕當直の士試みに之を彎きしに、弓は折れて兩斷せしかば、士その弣下に蠧蝕ありしに因ることを知らず、自ら屠腹して罪を償はんと請へり。光高曰く、汝窃かに余の弓を弄せしもの全く罪なしとすべからざるも、爲に余をして蠧弓を將軍に献ぜざるを得しめたるはまた大功といはざるべからずと。僧天海嘗て光高の招く所となるや、侯の度量を試みんと欲し、席上展觀の爲に置く所の藤原公任の筆せる朗詠集を得んことを請ひしに、光高は欣然として諾し、毫も愛惜の色を現さゞりしかば、天海歸るに臨みて之を侍臣に還し、侯の偉材なるを嘆じたりき。光高又利常に仕へて敬養備に至り、利常の江戸に往來するとき、その着到に近き數日間は、必ず膳宰に命じ珍羞を調へて驛次に之を遞送せしめたりき。利常の園池を小松城内葭島に營みし時、佃某を遣はし役夫を督して石材を金澤城に取らしむ。某乃ち命を奉じて城に至りしに、番卒等之を叱して曰く、木多政重・横山長知二人の命を得るにあらざれば、汝等の城内に入るを許す能はず。况や石材を擇びて搬出せんとするに於いてをやと。某已むを得ず本多氏に至りてその許可を請ひしに、政重は、余輩光高侯の命を受けてこの城を守る。老侯の言の如きは余輩の知る所に非ずとて又許さず。某因りて横山氏に至りしに、長知の言ふ所も亦政重の如くなりき。是を以て某遂にその任務を果す能はず、還りて之を利常に告げしに、利常は棄てゝ問ふ所あらざりき。既にして政重・長知書を江戸に馳せ、老侯の石材を城内に求めたりしことを告げたりしに、光高は自ら報書を作り、獨樹石のみに止らず、布くも老侯の命ずる所は輙ち直に之に從ふべしといへり。後政重・長知の利常に謁せし時、利常は老臣等が侯の寄託に負かざるを賞したりき。光高常に心を聖賢の學に潛めて、專ら躬行に力め、然る後之を時務に及ぼさんとせしに、世に在ること久しからずして舘を捐てしもの、眞に惜しむべかりしなり。光高著す所、遺訓五十餘條・銘歌百首・一本種・自論記あり。並びにその才氣の煥發を見るべし。