光高小字は犬千代、初の諱は利高。利常の長子にして、母を天徳院とし、元和元年十一月二十日金澤城に生まる。七年五月二十五日初めて江戸に往きて將軍秀忠に謁し、寛永六年四月廿三日將軍家光の朝堂に元服す。是の日正四位下に叙し、左近衞權少將に任ぜられ、筑前守を兼ぬ。將軍の偏諱を賜はりて光高と改めしも、亦この時に在り。十六年六月二十日光高父利常致仕の後を享けしが、治世僅かに七年にして、正保二年四月五日三十一歳を以て江戸に卒す。その遺骸は之を金澤の天徳院に歸葬し、諡して陽廣院將巖天良といへり。 光高の夫人は將軍家光の養女大姫にして、實は水戸中納言頼房の女なり。或は言ふ、大姫は固より家光の女なりしが、故ありて水戸邸に育せられたるなりと。寛永九年十二月十三日家光自ら利常に命じて婚を定めしめ、十年十二月五日入輿し、明暦二年九月廿三日逝く、享年三十。清泰院法譽性榮と諡し、江戸小石川の傳通院に葬る。