利常の薨ずるや、その近臣にして之に殉じたるもの五人に及べり。蓋し江戸時代殉死の最も盛に行はれたるは、元和・寛永より萬治・寛文に至る間にして、諸侯の死するものあるときは、家臣必ず之に隨ふものあり。殉死する者なければ名君にあらず、殉死せざれば良臣にあらざるが如く考へらるゝの陋習をすら生じたりしを以て、寛文三年幕府は嚴に法を布きて之を禁じたりき。されば加賀藩に在りても、光高・利常二侯の時に殉死の行はれたるは、實に海内の風潮に隨ひたる現象たりしなり。