越前領十六ヶ村が幕府の直轄地となりたる後に於いても、加藤藤兵衞は尚牛首に在りて大庄屋たりき。然るに藤兵衞は牛首に於ける灌漑の利を計らんが爲、明谷川より引水するの事業に著手せしが、その費莫大にして支ふる能はざるに至りしかば、私に貢米を割きて之に當てたりき。幕吏乃ちその罪を正さんと欲し、藤兵衞を逮捕せんとせしに、延寳元年藤兵衞は逃走してその所在を晦ませり。是を以て牛首側の勢力大に失墜し、尾添側はこの機に乘じて連りにその手足を伸べんと焦慮したりき。