爾後綱紀は所謂『諸士の中所存を可改仕置』に就きて工夫したるが如く、遂にその成案を得るに至りたるものを、同年十一月十五日に發布したる訓諭九ヶ條なりとす。こは諸士の組頭たる者を戒め、彼等の能く配下を率ゐ、奢侈を謹み、職務に精勵し、禮節を重んずべきことを教へたるものにして、綱紀の意、諸士が漸く世の泰平に狃れて風俗の頽廢を招き、家政を紊亂せしめ、困厄の極自ら體面を維持する能はざるのみならず、特にその子弟の酒色に沈湎し、賭博に耽り、奸惡の行爲あるは、皆組頭の監督教導宜しきを得ざるによると考へたるなり。 覺 一、組頭たるものは數多の侍をも指引申付置事に候へば、別而心底を相嗜、内外作法不及迄も、組中之ならはしに罷成候樣に、心懸儀第一に候。勿論私之榮耀をやみ、專ら家業をはげみ、萬端つゝしみをむねと致、油斷有間敷候。若頭々之行跡不宜候而者、組中之作法等正敷樣支配仕儀難成、却而組中おこたり之端たるべきの條、堅此旨可存事。 (中略) 一、組之輩連々勝手不如意に付加助成候所、曾而其しるしなきものも有之、剩一兩年は手前行詰候族多由、沙汰之限候。自今以後堅く私の榮耀をいたさず、家業專一に可心懸之旨急度申聞之、進退(身代)成立候樣別而介抱いたすべく、此上故なく勝手行詰奉公ならざるもの有之組は、其頭迄可爲越度之條隨分可入情候。若又儉約に事よせ、利欲にして義理をうしなひ、或無用の器物をこのみ、或宴樂遊興を所行とし、殊には不行儀の好色、其外侍に不似合事業有之輩者可爲曲事之條、兼而可存其旨事。 (中略) 右之趣得其意、自今以後急度可相心得者也。 延寳二年十一月十五日如例年出仕之後、組頭共御前へ被召出、御直に被仰渡一卷也。 〔御定書〕