綱紀は光高の子にして、寛永二十年十一月十六日江戸に生まる。母は清泰院。童名は犬千代。正保二年四月光高卒したるを以て、六月十三日將軍は松平信綱・酒井忠勝を遣はして家督を續がしめき。承應三年正月十二日犬千代柳營に於いて首服を加へ、正四位下左近衞權少將兼加賀守に任ぜられ、偏諱を賜ひて綱利と稱す。萬治元年祖父利常薨じたるを以てその致仕領を併せ、閏十二月二十七日左近衞權中將に陞せらる。貞享元年正月元日綱利諱を綱紀と改め、元祿六年十二月朔日參議に任ぜらる、中將故の如し。寳永四年二月二十八日從三位に叙し、享保八年五月九日致仕し、六月十五日肥前守に改め、九年五月九日八十二歳を以て江戸に薨ぜり。諡して松雲院徳翁一齋といふ。遺骸は同月二十日江戸を發し、六月七日金澤天徳院に着し、十日野田山なる先塋の次に葬る。後明治四十二年九月十一日從二位を贈らる。 綱紀の夫人は會津侯保科正之の女摩須姫なり。摩須姫萬治元年七月二十七日入輿せしが、寛文六年四月二十一日胎死の男兒を生みたる後病を發し、二十四日を以て逝去せり。享年十八。諡して松嶺院信巖宗正といひ、下谷廣徳寺に葬る。