抑從來坊間に流布せる朝元事件を傳へたる記録は、殆ど稗史小説にあらざることなく、野狐物語・越路加賀見・見語大鵬選等皆この種類のものにして、更にこれを講談化し演劇化したるものは、益事を奇怪にして人の視聽を惹くに至れること、他の所謂御家騷動に於けると相似たり。雄藩秘史は漢文にて記せらるゝも、内容の杜撰なることは即ち一なり。たゞ政鄰記・浚新秘策・大野木克寛日記・遠田勘右衞門日記・前田土佐守記・本多家舊記等は當時の記録として最も信憑すべく、刊本には列侯深秘録中に政鄰記の抄本を見るべし。明治中戸水信義の調査せる大槻朝元實歴談といふものは、是等の資料によりて大成したるものなり。 大槻朝元の事件は吉徳の時に初り、重教の時に終る。その間藩主の世を易ふること五たびに及び、而して延享二年吉徳の卒去せしより寳暦三年重教の家を承くるに至るまでは、前後九年に過ぎざるなり。今例に從ひてその略歴を附記す。