是時に當りて大槻朝元漸く出頭し、遂には藩の政柄を掌握するに至りて、歴世獅子の土藏に秘藏せられたる軍用の金銀を賣拂ひたりとの非難さへ得たりといへども、そは財政の状態が、實に此くの如き手段を擇ばざるべからざるに至りしが爲にして、朝元ありしに因りて特に紊亂を招きたりとは認むること能はず。彼の財政政策は寧ろ極端なる消極のものにして、大組・中組に屬する足輕が放銃を專門とする職にして、徒らに硝藥をのみ費す不生産的のものなるを憂へ、彼等をして門衞を兼務せしむることをさへ敢行したりしなり。而も太平に狃れ、奢侈に趨き、收支の平衡を失ひて歩一歩益困厄に陷りしは、當時海内の諸侯に通じたる情勢にして、獨朝元をのみ責むべきにはあらざりしなり。 次代宗族の時に及びても、上下の經濟状態は毫も良好なる傾向を示すことなかりき。大地新八郎昌言が侯に上りたる封事に、風俗の敗壞は窮乏これが階を爲すものなり。是を以て風俗の敗壞を救はんと欲せば、宜しく先づ賑貸するを要すといへども、今日上下共に窮乏の甚だしきものあるを以て、賑貸の事全く施すに逆なし。されば侯の明決果斷によりて、宜しく衆と共にその法を議せざるべからずといへるに由りて、當時の事情を察するに足るべし。昌言は室鳩巣の外甥なり。宗辰その言を是とし、延享二年十月六日有司に諭し、冗費を省き節儉を行ひ、諸局心を一にして成功を期せしめ、十二月にも奢侈を戒め文武を勵ましめき。次いで三年六月又令して、方今諸士困窮するを以て、藩は之が救濟の方法を講ぜんと欲すどいへども、府庫既に缺乏してその意を果すこと能はず。是を以て諸上納金の缺負及び元文二年以降に於ける町方よりの借銀・買懸銀の返濟に當つるが爲、知行草高百石に對して十五石を除知とすべく、且つ今後町方より銀子を借用せんとする場合に在りては頭役の奧書を加へたる證文を交付すべく、これなくして貸附せる債權者は強ひて債務の履行を促すこと能はずとし、その他士庶吉凶の禮より服飾に至るまで皆制限を加ふる所ありき。