天明二年治脩又貞婦よつを賞す。よつは金澤野田寺町の人吉右衞門の妻にして、舅夫に仕へて能く孝貞なりき。吉右衞門も亦克く父に事へしが、その家貧なりしを以て、荒町の夜警を業とせしに、よつの之に食餌を捧ぐること甚だ恭謹なりしのみならず、風雨ある時は則ち夫に代りて巡行し、又吉右衞門の病を得るに及び、日夜之に侍して憂勤具に至りしかば、隣保嘆稱せざるはなかりき。因りて錢若干を賜はれり。 天明三年孝女杉も亦褒旌せらる。杉は鹿島郡所口の人伊右衞門の子なり。今年春伊右衞門罪ありて金澤の獄に下りしに、杉悲痛に堪へずして日夜號泣せしが、遂に城下に赴きて賈人六右衞門の婢となり、その得たる賃銀を以て屢旨甘を調へ、以て獄中に贈りたりき。偶河北郡藥師村なる本興寺の佛像靈驗ありと傳へて、賽客群を爲せり。杉之を聞きて、毎夜入靜りたる後二里を距てたる本興寺に至り、父の宥されんことを祈請し、還れば則ち蓆に寢ね塊を枕とせり。家人その故を問へば言ふ。父獄に在りて苦を受くるに、如何ぞ妾獨温安に就くを得んやと。聞く者皆悽惻せしが、遂に藩吏の知る所となり、特に伊右衞門を杉に責付し、毎歳錢若干を賜ひたりき。