私儀かやうなる事をぞんじ立申儀、ひとつには不忠、ふたつには不孝、其外のとがあげてかぞへがたく奉存候。去ながらおよばぬ心につら〱ぞんじつけ候へば、今かやうに日本しづかには候へ共、御國の有樣めもあてられぬあやふき御事とぞんじ奉候。其上御勝手向はさしつかへ、近くにはおほそれながら御災も出來候はんほどに取沙汰仕候。あまり〱見るにしのびかね、彼の者(萬右衞門)ひとりのとがにては聊か無御座候へ共かやうには仕候。此年月御心を御つくし被遊候かひもなく、私こそはながらへ、御せんどをも見屆御とむらひも可申に、殊にもとめたる儀にてともかくもなり候はゞ、御なげきはいかばかり今み奉るやうに奉存候。去ども死をかろんずるは武士のならひ、唯御なげきを御とゞめ遊ばし、にくきやつのしわざとおぼしめし、姊樣・おようさ、ついでは晋次郎御守り遊ばし可被下候。かならず〱私事はおぼしめしきらせられ、相はて候うへ一へんの御とむらひをもいたゞき候はゞ、天罰にあたり可申候。たゞ此まゝに遊ばし、もとよりとむらひもいり不申候。あとの御事は御難題ながら、多太夫樣・金十郎によろしく御はからひねがひ奉まゐらせ候。おつるさの事は、私世話も可仕はずに御座候へ共、かやうの事に成申候へば宜しく御頼申上候。おようさのこしらへ等も、此時節に候へば隨分々々かろく、唯心やすく御座候やうに御はからひ被遊可被下候。私かやうの事をぞんじ立候て、三年に成申候。もはやこらへかね、かやうのいたしかたに御座候。こんれいのそうだんもつかまつらぬはずに御座候得共、とかくあらはれ不申やうにと奉存、わざと仕居申候。何事をも御ゆるし被遊可被下候。御なげきのほど、不孝は申上がたく候。細々申上たく候へ共、すてたる身ながらも思ひみだれ、とりあへず御いとまごひまでを申上候。姊樣・多太夫樣・おようさ・おつるさへ、おそれながらよろしくねがひあげまゐらせ候。只返々も、御跡をもとむらひ可申身のかくなり行候へば、今更にかなしき身と奉存候。此上は思召すてられ候御事をねがひ奉まゐらせ候かしく。 衣更月高田善藏 返々、仙右衞門夫婦・をぢへも、おそれながら御きか遊ばし可被下候。跡にて多太夫樣御そうだん遊ばし、よろしきやうにおはからひ遊ばし可被下候かしく。 〔高田善藏一件〕 ○ 一、一説に刄傷におよび候節之樣子、善藏四ツ時過御殿へ罷出候而、萬右衞門よりは少し先故坊主を呼、萬右衞門被出候哉与相尋申候處、未御出無之旨申聞候内、早萬右衞門被出候條、善藏御廊下に而一禮いたし、扨何やらん御居間の方に向ひ、善藏暫く踞り拜をいたし候樣子、其節坊主咄いたし候由。扨萬右衞門御用所へ罷出候處、即御用部屋三人共列座に而御用談有之候處、善藏、萬右衞門へ申入候は、一寸得御意度候間、暫是え御出有之候樣にと申候處、萬右衞門被申候は、只今御用談、不苦候はゞ是に而可被申聞旨に候處、然者御用相濟候而も不苦、少与内分申上度事有之由申候に付、則萬右衞門被立出候處、鵆之御間へ罷越、萬右衞門六尺計上に被座付候處、御肩衣を被放候樣に善藏申入候に付難心得、拙者御自分に對し肩衣可放樣なしと被申候處、然考御覺悟可被成候とて飛懸り、横腹より肩衣迄ゑぐり候由。然處萬右衞門二聲誰ぞ〱と申候故、戸田與一郎後より善藏を被抱候處、善藏申候は、御騷ぎ被成間敷、御自分樣方へ御難題には及申間敷候由申候に付、手を被放候處則とゞめを仕、脇刺下に指置、少し退き兩手を膝に置居申候處、山本九郎太夫被罷越、尤其砌與一郎は側に被居申候。九郎太夫罷越候に付、與一郎、九郎太夫へ被申聞候は、格(カク)之仕合に候間、善藏儀御自分に御預申候。拙者直に言上可申旨に而、與一郎罷立候處、與一郎服等少々血付申候に付被著替、其内大勢打集り、善藏も服少々血付候に付爲着替候由。此段は御横目右山本九郎太夫より承候事。 一、善藏肩衣被放候樣にと申儀、是は御紋(藩侯)付故与かや。都而萬右衞門儀、平生御紋付不放着致候由に付、御紋付着致候てはヶ樣成儀難成与申儀も可有之候得共、事に臨み存詰たる趣も候ば其儀も有間敷哉。乍併其處者善藏儀心得罷有候故にや、肩衣を除け突込申由に候。 一、自分亂心と申儀、實亂心に候得者、尚更自分より亂心与は申間敷筈。又亂心にあらざれば、猶亂心とは申間敷儀也。此所評判數説有之侯。 〔高田善藏一件〕 ○ 不破半藏組高田善藏 善藏儀、當八日於金谷御殿、中村萬右衞門を脇刺を以突伏候處、萬右衞門右手疵に而依相果候、切腹被仰付。 二月十五日(安永九年) 〔高田善藏一件〕