齊廣の封を襲ぎしは享和二年三月九日なりしが、この年八月二十五日初めて國に就き、十月先づ組頭に諭して、偸安を戒め忠信を守り、以て藩士の目標となるべきを以てし、翌三年閏正月再び教を組頭に下す所ありき。曰く、今や承平日久しく風俗頽敗して孱弱に流れ、貲財を無用の華麗に費して文學武技を顧みざるが故に、組頭中その職に在れども任に堪ふる能はざるものも亦之なきにあらず。藩の制、卿等に屬せしむるに配下の士を以てせり。されば卿等は將に彼等を善導して風俗を敦厚ならしめ、士道を失墜せしめざるに努めざるべからずと。是の日又人持組の士に諭して曰く、卿等の祖先は皆藩の爲に勳勞ありしものなるを以て、位を貴くし祿を重くし、子孫をして世々之を承けしめしなり。然るに卿等今やその源を忘れ、動もすれば輙ち門閥に誇り騎奢を競ひ、珍膳美服に意を注ぎて、苟も下情に通達し治務を完くするの重責あることを知らず。否らざれば則ち吝嗇を以て儉約と誤り、貨殖を計るを旨として仁惠の何たるを忘るゝもの、職として不學無識に由らざるはなし。今より以往心を文學と武技とに專らにし、以て君國に奉ずるの道を盡くさざるべからずと。 享和三年四月齊廣又教を群臣に下して曰く、抑汝等をして祿を世々にせしむるものは、啻に汝等祖先の功績に報ゆるが爲のみにあらず、亦その功を紹恢せんことを希ふに因るなり。然るに近時漸く弊俗に汚染して士道を忘るゝもの、滔々とし皆然らざるはなし。是を以て子弟の輩父老の薫陶に與るを得ず、唯奢侈放縱にのみ慣れて遂に習性をなし、名は即ち武士なるも既に武士たるの實を失へり。これ豈忠孝の道に於いて缺くる所なしとせんや。今より後皆孳々として學を勉めて而も文弱風流の弊に陷ることなく、武技を練りて而も暴戻疎放の謗を受くることなくんば、文武の道初めて活用せられて、汝等が祖先の功を紹恢することも亦庶幾くは期して待つべきなりと。同月齊廣また勤儉令を發して曰く、近時諸士の風俗宜しきを失ひ、子弟の教養亦その法に適せず。凡そ武士たらん者は、祿の高下に應じて各兵器を蓄へざるべからざるは勿論なるに、今は全くその本旨を忘却し、反りて邸宅器玩の善美を欲し、奢侈に移り懦弱に陷らざるもの殆ど稀なり。自今宜しく學問を勵み武道を嗜み、士風の高潔を維持して祖先の名を辱しむること勿れと。因りて勤儉の實行すべき條目を定めて之を戒め、次いで七月に至りて省略所を設け、長瀬五郎右衞門有穀・人見吉左衞門忠貞二人をしてその事務を掌らしめ、先例古格に拘泥することなく、一に勤儉節約を目的として事を處せしめき。省略所は一に之を儉約所とも稱し、藩の政費を減ずるを謀らしめたるなり。 覺 一、御城中たり共從者之儀可致省略候。尤頭分に而茂從者指支候節、挾箱相持不申儀可爲勝手次第事。 但、近年年頭には行粧飾候樣子に候得共、以來は右に准可申事。 一、衣服之儀者自他共成限麁服いたし可申候。袴等茂准候而麁品を用可申事。 一、女之衣類禮服たり共麁品を用ひ、常は成限麁服可爲致、無用花美成染色等一圓有之間敷候。銀の笄御停止之儀毎度被仰渡候得共、今以相用ひ候者も有之樣子、且亦櫛等上品無用之儀前々被仰出候得共、是又今以高料之品相用させ候躰、畢竟父・夫等且其主人之申付方等閑散に候。以來榮耀を加え候品堅停止可申事。 一、花麗成風躰之下女召置、惰弱之風俗に寄、妻子迄も見習、おのづから不宜風俗に押移り申事に候條、以來嚴重に相改可申事。 一、無據押立候振廻之儀、大身之面々たり共一汁三菜酒三遍に過べからず候。勿論右之外肴曁濃茶後菓子等出候儀堅有之間敷候。右に准小身之人々成限可致省略候。其外御用・私用共參會質素に相心得、猥に親類之外は長座之儀有之間敷事。 一、家作之儀輕しつらい、榮耀之儀有之間敷、同役等寄合候節茂人多に候共、成限有來之間に而用事相調可申事。 一、婚禮之儀、近年押立候式は無之躰に候得共、内證に而は身上に應不申物入をいたし、此一事に而難澁之基に相成候人々茂有之躰に候。此儀者第一申請候者茂心得等有之儀に候。且亦拵料或者普請料とて金銀を取遣り候儀御停止之儀は、前々より被仰渡有之候處、今以心得違之者茂有之樣子沙汰之限りに候。以來嚴重に相心得可申事。 一、神事・佛會等之儀、隨分輕執行等之儀、可相心得候事。 但、身分不相應之寄進いたし候者も有之躰不所存之至、急度可相心得事。 一、音信贈答之儀者、樹木・菓物類或者至而輕き品取遣り候儀者格別、態々相認費をいたし候儀は有之間舖、親類縁者共之内吉事之節も、輕き干肴類に而茂祝儀者可相整事に候。年回等之節も右に准輕き品取遣り之儀は格別、費ヶ間敷儀無之樣可相心得候事。 一、新役曁新に御番いたし候者、或者江戸表え始而相詰、又者爲御使罷越候者抔都而不案内事に候得者、互に勤向幾重に茂念頃に可申談處、無故して互に輕薄に相成、夫に付費ヶ間敷事茂有之樣子、甚風儀不宜事に候。以來急度相心得可申事。 但、江戸表等え罷越候節餞別並土産之儀、先達而被仰渡候通り急度相守可申事。 一、年頭暑寒並江戸表等え罷越候者抔、廻勤之儀近年別而多相成候躰。以來は其頭一類同役曁親き者は格別、外廻勤之儀心得茂可有之事。 一、諸殺生之儀致間敷に而者無之候得共、次第盛相成候而色々と自由をいたし費に相成候躰。其上殺生之場所におゐて不埒之族茂有之樣子に候。以來急度相心得可申事。 右ヶ條之品々前々被仰出候得共、猶更今般改而被仰出候。且亦是迄愼等之儀被仰渡候得共、萬事ひそみ罷在候事之樣に相心得候者茂有之躰、畢竟御趣意不致會得故に候。縁者親類打寄互に爲を語合申儀、或者稽古事に而寄合申儀、曁家内之者茂誠に順氣のため、不加榮耀費なき樣に相守致行歩候儀抔可有之事に候得共、唯榮耀ヶ間舖儀且者惰弱之風儀無之樣嚴重に相守、此外前々被仰渡候條々彌以可相守候。若相背候者於有之者急度相糺可被仰付候事。 以上 癸亥(享和三年)四月 〔御縮方等御書立之帳〕