かくて齊廣の襲職以後、舊弊を改善するに意を注ぐこと甚だ急なりしかば、その施設往々にして世の喜ぶ所とならざりしものありしが如し。齊廣乃ちこゝに鑑みる所やありけん、文化二年八月二十七日諸老臣に告げて、余の襲職以來施設したりし所は、事多く急遽に出でしを以て、今日に不便なるものこれなきを保すべからず。是の如きは、古へより行はるゝ法にして弊害あるものと共に、他日悉く改廢を期するを以て、卿等宜しく余の意のある所を體し、その利害得失を精査し、各見る所を以聞するを憚ること勿れといへり。 この際文化五年正月十五日金澤城の災に罹りしことは、齊廣の緊縮方針を妨ぐること極めて大なりしも、恰も經濟界の膨脹時代に當れるを以て、臣僚庶民爭ひて金穀木材を献じ、以て速かに復興を遂げんことを希ひたりき。齊廣江戸に在りて之を聞き、教を老臣に下して曰く、頃者居城祝融に罹りしを以て、士民の資材を輸するもの甚だ多しといへり。思ふに余の不徳を以てして、尚能く此の如くなるを得るは、素より祖宗の遺徳深く民心に浸染するものあるに因る。然れば則ち益身を以て國務に竭し、敢へて群下を煩さざるを念とせざるべからず。卿等能くこの旨を體して諸頭役に知らしむる所あれと。而して從來諸侯の城郭災に罹るときは資金を幕府に借りて修築するを常とせしを以て、這次に於いても老臣等皆舊に據らんことを欲したりしが、齊廣は別に考ふる所ありとしてその請を許さゞりき。次いで三月十五日齊廣將に國に就かんとして暇を將軍家齊に告げしに、將軍は旨を老中に傳へしめ、齊廣が舊慣によりて城郭修築の資金を幕府に請はざりしを以て、これに代ふるに參觀の期を緩くして三年間の在國を許し、年始八朔三節以外に於ける、年中の進貢を五ヶ年に亙りて廢せしめき。齊廣乃ち三月二十八日國に歸りて老臣本多政禮の邸に入りしが、閏六月廿八日城郭經營の工を起し、六年四月二十六日落成せしを以て移徙し、五月六日・七日大に猿樂を奏して老臣以下諸吏の觀覽を許せり。齊廣がこの大工事を行ふに當りて、幕府の力を假らざりしは、勤儉力行を以てこの難局を打開せんと欲したるに因る。財政の窮迫は時に多少の弛張なきにあらざりしも、略前代に同じかりしなり。 金澤城石川門(上)と橋爪門(下)寫眞金澤市大友佐一氏藏 金沢城石川門と橋爪門 金澤城鼠多門(上)と廣式遠望(下)寫眞金澤市大友佐一氏藏 金沢城鼠多門と広式遠望