因にいふ。天保中江戸に大盜鼠小僧次郎吉あり、又治郎太夫と稱す。その活躍したる舞臺は江戸に在りといへども、彼の出生は加賀なりといひ、大聖寺藩吏の報告中に之を載せたるを見る。亦以て緑林傳の遺を補ふべきなり。 一、右治太夫儀(郎脱カ)、先年より諸侯方並に町家へも毎度忍入候得共、一向相しれ不申候。たとへ見付候而も暫時に見失、且聊之透より忍入候に付、鼠小僧と申由に候。 一、生國御吟味有之候所、加州能美郡小松出生、龜屋何某之忰之由及自状。當時龜屋何某家名等無之旨及白状。且右に付先達而東本願寺へ金子百兩、兩親等之祠堂に付け候由。則五月廿七日白状之由御座候事。 大聖寺聞香 六月廿九日(天保三年)出淵新五兵衞 大聖寺御家老 前田主膳樣 〔鼠小僧一件〕