天保八年九月七日齊泰は藩費節約の一端に資せんが爲め、自己の衣服食膳及び後庭の用度を裁損することを令し、又藩政に關して意見を上りしもの四十七人を慰勞せり。この時當に秋成に際せしを以て、二十四日齊泰は復老臣に諭して曰く、去冬以來民庶食糧に困しみしが、卿等能く心を荒政に盡くして之を輔扶し、また率先金穀を醵出して賑救の不足を補ひ瀕死の民命を繋げり。是を以て邦内幸にして無事なるを得、今や當に秋成の時に及べり。庶幾くは卿等更に政事に勵精し、邦内をして動搖せしむること勿れ。又曰く、去年以來民間粥を給し財を施し、力を救荒に致しゝ者少からず。余之を賞せんとするを以て、その人と事とを録して提出せよ。又曰く、城下の民庶憔悴殊に甚だしきものありといへり。余これを憂慮するが故に、彼等を蘇息せしむるの法如何を聞かんことを欲す。又曰く、士は窮して節義を顯すといへり。然らば則ち時艱に驅られ、威權を挾み、下民に接するに不信を以てするが如きは、苟も士籍に列するものゝ爲すべき所にあらず。故に余今之を臣僚に諭して義氣を鼓吹せんと欲す。卿等見る所あらば之を審議して以聞せよと。次いで十月郡奉行及び屬吏の荒政に勤勞したるものを褒賞し、十一月には犀川及び淺野川橋梁架設の工を興し、工匠及び窮民等をして食を得るの途を得しめ、神明社内に新たに芝居の興行を許可して人氣の作振を圖りたりき。