錢屋五兵衞が近時世人に稱揚せらるゝ所以は、その豪富たりしが爲にあらず、河北潟の開拓を試みたるが爲にもあらず、况や又彼が無辜の人にして獄死せるが爲にもあらずして、幕末鎖港の時に當り夙に外國と交通貿易せざるべからざる必要を知り、禁令を破りて之を敢行し、以て開國の先導者たりしとする點にあり。然りといへどもこの事たる、纔かに片々たる諸種の事實を綜合して、恐らくはこれありしならんと想像するに止り、固より牢乎として拔くべからざる證跡の存するにあらず。且つ外國貿易の事が疑獄の原因となりしにもあらずして、裁判の進捗中未だ一たびもこの問題に觸れしを見ざるなり。然らば後世五兵衞が外國貿易を爲しゝと推定するに至りたる理由は如何。今左にその資料となりし諸説を列擧すべし。 弘化・嘉永の頃、加賀藩の留守居役某幕吏と會談せしことあり。時に幕吏問ひて曰く、貴藩宮腰の商人に錢屋五兵衞といふ者ありて、外國貿易を爲せりとの風聞あり。足下之に關して聞く所あらざるかと。是に於いて某は執政に上申し、委細に査覈したる後毫もその事實なきを報告せりと。之に因れば當時或る方面には、五兵衞が外國貿易を爲せりとする説の行はれたるを知るべしと。 五兵衞等裁判の際、その局に當りたる本多求馬佐・淺野周左衞門・石黒堅三郎等の談によれば、本件糺彈の時五兵衞に對し貿易に關する訊問を試みしことあらず。然れどもその闕所處分を執行する爲彼の邸宅に赴きしに、厚硝子及び古渡にあらざる優等の唐紙ありて、當時決して我が國に見る能はざる物なりしが故に、これを番頭に質しゝに長崎より輸入せるなりといへり。又その帳簿中に、赤合羽數萬枚を製造せしめたることを記載するものありき。赤合羽は藩士の奴僕をして着用せしむる桐油紙製の雨衣なり。而して錢屋の帳簿は、凡べて收支頗る明瞭に記されたるに拘らず、この赤合羽に就きては入るを記して出づるを載せざりしもの最も怪しむべし。且つ當時海内の諸侯、加賀藩以外に赤合羽を用ふるものあるを聞かず。縱令これありするもその需用數萬の多きに達するものあるべからず。恐らくは外國に輸出する商品たりしにあらざるかといへり。