藩の改作奉行たりし安井顯比の談にいふ。當時十村役に折橋理三郎ありしが、一日宴席に於いて五兵衞に會せり。理三郎乃ち五兵衞に問ひて曰く、足下富鉅萬を累ぬ、若し利を射るの妙策あらば、その一端を我に教へよと。五兵衞曰く、凡そ財寳を得るの困難なること世亦之に比すべきものなし。方今諸侯皆窮乏し、加ふるに各藩法制の嚴密なるものあるを以て、如何ぞ能く商利を擅にするを得んや。余の如きも亦普く支舖を全國に開けりといへども、未だ收益の意の如くならざるものあり。若しそれ外國と有無相交換するを得ば或は非常の利を獲得すべからんも、そは國禁に屬するを以て敢へて犯すべきにあらざるなりと。五兵衞の言、或は問ふに墮ちずして語るに墮ちたるものにあらざるか。且つ後に發見せられたる藩吏鈴木清之丞より五兵衞に與へたる手書によれば、その船舶の竹島に往來せる事情明白なりしも、清之丞の黜陟に關するあらんを恐れ、石黒堅三郎と謀りて之を火中に投じたりと。 又安井顯比の談に、余の改作奉行たりし時五兵衞一畫像を提出して曰く、これ我が船舶の航行中外國船と相會せしことありしに、彼より我に投じ去れるものなりと。その圖、基督の十字架上にありて將に磔せられんとするものに似、鎗を携ふるもの二人前に立ち、上方に横文を記せり。想ふにこれ錢屋の所有船が外船と海島に會して貿易し、因りて得たる所にあらざるかといへり。 明治維新の頃、粟崎村木屋藤右衞門の手代の談に、疑獄の際錢屋に於いて倉庫の床板を破り・弗銀の如きものを取出して隱蔽せる事實ありといへり。