又五兵衞の遺産中に所有帳簿の目録を記載し、その整理の利便に供したる一小册子ありしが、この目録には序文の如きものありて、商業の目的と理財の方法とを詳述し社交の要訣を説きて、假令自ら飢餓に迫るの窮境に陷るとも他人に對する義務を缺如すべからずとなし、奢侈を戒めて骨董器玩に耽溺すべからずといふの類、處世の細故に亙りて眞に至れり盡くせるの感ありしかば、算用場奉行の之を見るもの感嘆に堪へざりしといへり。今現に存する五兵衞が帳簿中の一なる年々留にも、亦この種の端書を有するによりて考ふれば、算用場奉行の見たりと傳ふるも恐らくはこれと相似たるものなりしなるべく、五兵衞が著眼の那邊に存せしかを知り得べきなり。 一、歳々鑑并勘定帳面は一子相傳にして、其母たりとも見聞は必不宜候。 一、無祿町人なれば當時相應に利潤等取揚候とも、不時不意損失等打續候儀も有之とき、第一世間名聞に不拘、手をすべ仕抹方心得肝要之事。 一、奢侈が間鋪事堅く不致樣、商賣大切相守候事。 一、亭主分朝寢不宜候。 一、朝夕内佛御勤不欠樣に急度相心得可申事。 一、御公儀之御法度致大切ニ、朝夕忘れ不申樣に相心得候事。 一、金銀出入毎日相調理可致事。 一、當時當國銀札遣相成候故、正銀一向無之、尤金相庭(サウバ)次第高直に相成、金澤町人衆一流道具張込被成候。 前々高料器不可好と有之故、其所心得專用と被存候。乍去當時世振にて、矢張其時節に隨ひ、勘定相應之年柄は少々宛道具相求置候も、又後年之助とも可相成哉。併分限不相應は堅く無用之事。 〔今村氏藏錢屋五兵衞年々留〕