初め大野木源藏が齊泰の書を齎して上洛せんとせしとき、永原恒太郎は同志をして之に隨行せしめんと欲し、不破富太郎・廣瀬勘右衞門・福岡文平・小川幸三・青木新三郎・高木守衞及び自己の名を記して之を上れり。その福岡惣助を除きたるは幽閉中なりしに因る。藩乃ち議して文平・守衞の二人を許しゝが、同志は更に幸三を加へんことを請ひて又聽されき。三士入洛して諸藩の志士と交遊し、駒井躋庵はその間に在りて周旋奔走を怠らず、而して源藏も亦藩の聞番となりて京に留れり。是の時に當りて慶寧上京の令既に發したりといへども、藩吏多くはその實行を欲せざりしを以て遲疑して未だ發途の期を定めざりき。因りて同志等上書して速かに之を決行せんことを請ひ、大野木仲三郎も亦老臣前田土佐守直信に至りて之を促せり。この時源藏は遽かに上申する所ありと稱して歸藩せしかば、同志等源藏が守舊の徒に説服せられ、慶寧の上京を延期せしめんとするものなるべしと考へ、恒太郎・富太郎二人之を郊外に要し、決して前議を飜すことなかるべきを誓はしめしに、源藏は廳に登りて如今慶寧が上洛の好機なることを述べたりき。幾くもなく源藏の再び西上するに及び、同志又之に勸めて源藏の甥なる仲三郎を同伴せしめ、勤王論者の京に在るもの益多きを加へたりしが、慶寧出發の期尚未だ確定せざりしを以て、同志等大に之を焦慮せり。