時に金澤の同志等、慶寧退京の眞意果して如何を知ること能はず。小川幸三曰く、これ姑く大津に在りて敵の出づるを待ち、長藩と前後挾撃せんとするものにあらずや。吾輩同志たるもの期に後るべからざるなりと。高木守衞・野口斧吉曰く、不破富太郎の意は葢し君の言ふが如なるべし。然りといへども、聞くが如んば世子常に守舊の藩吏のためにその耳目を壅塞せらるといへり。されば此の擧、或は世子がその意の如くならざるを憤りて歸藩せんとするものにあらざるなきを得んや。吾輩更に確報を得て發するも未だ必ずしも遲しとせずと。幸三可かずして先づ發せんとす。乃ち杯を啣みて送別せしに、偶席に列したる石黒圭三郎及び市醫谷村直も亦幸三と行を共にせり。