元治事變の結果は、徒らに志士の生命と自由とを奪ひたるに止り、加賀藩の内部に於ける不統一を暴露して、海内の輕侮を招くに至りたる不利益甚だしきものあり。况やこの時恰も薩會二藩の主張する公武一和論の勢力を得たるに當りたるを以て、加賀藩は前日の失體に對する責任を明らかにし、何等かの功績を立てゝこれを償ふの擧に出でざるべからざりき。然るに幾くもなく幕府は征長の師を起すの令を布きたるを以て、加賀藩は自ら請ひて先鋒の列に加り、同時に一橋慶喜の要求に應じて上洛の途にありし水戸の浪士を越前に遮り、之が爲に莫大の金穀を費消するを吝まず、非常の勇氣と熱誠とを以て事に從へり。然りといへども此等の勤勞に對しては、將に土崩瓦解せんとしつゝありし幕府より何等の報酬をも求め得べきにあらず。特に幕府の要路にある者、士氣旺盛なる長藩に對する時は面を背けて戰鬪を忌避せんとし、落魄困頓せる水戸浪士を遇する時は必要以上の酷薄を敢へてしたるを見るに及び、加賀藩の幕府を信頼するの念漸く薄からざるを得ざりき。南越從軍の我が將帥が屢幕吏に論難抗辯し、監軍附屬の士石黒堅三郎の手記に彼等を目して奸吏と書したる如きは、皆この思想の發露たるに外ならざりしなり。