前述の如く幕軍は一たび凱旋したりしが、幾くもなく長藩はその態度を變じ、急に抵抗の形勢を示しゝを以て、幕府は再征の令を發するの止むを得ざるに至れり。是より先齊泰は、慶應元年二月二十八日金澤を發して江戸に參觀したりしが、四月二十六日將軍家茂に献言して、長州再征の擧の不可なる所以を述べたりき。その書に曰く、近者將軍再び大旆を長防に進むるの議ありと聞く。その事固より已むを得ざるに出でしなるべしといへども、時機の甚だ不可なるものあるを思はざるべからず。抑朝廷の幕府に對するや、一に委するに兵馬の權を以てし給へり。是を以て朝廷と幕府とは相待ち相扶けて初めて全きを爲すものとし、苟も離間の説にしてその間に行はるゝときは決して合體の實を擧げ得べきにあらず。且つ方今内憂外患一にして足らざるの際、若し將軍にして朝旨を奉戴して和易を以て事を行ふ能はずんば、先に屢朝覲の體を行へりといへども徒らに虚文に屬して些の實効あるを見ざるべし。故を以て余竊かに以爲く、將軍速かに京師に詣り、長藩の所置に對して親しく朝旨を承け、審かに是非得失を考へ、然る後宜しく之に若手するを要す。この事たる人心の向背に關する所極めて大なるを以て、出師の令今や既に發せられたる後に在りといへども、更に將軍の熟慮を費す所あらんことを請ふと。