加賀藩が浪士を敦賀の三寺院に收容するや、その待遇極めて慇懃にして、飮食は悉くこれを市人木綿屋鹿七に調理せしめ、士分には一汁三菜、輕卒には一汁二葉を供し、藥用と稱して一日酒三斗を與へ、鼻紙・煙草・衣服の類皆供給を豐かにし、元朝に當りては總員に鏡餠各一重を贈り、永原甚七郎等三人日々各寺院を巡りて耕雲齋等に面接し、慰撫備に至れり。是を以て浪士皆厚く感激し、市民はその寛容を嘆稱したりしといへども、幕吏に在りては大に之を悦ばず、從ひて浪士を憎惡すること甚だしきに至り、流言蜚語自らその間に行はれしかば、加賀藩の諸將は誤りて幕府の譴責を招き累を藩侯に及ぼすことあらんを恐れ、頗る戒心する所ありき。