沖太郎と義平とが豫定の計畫を遂行したりし翌日、藩は彼等の連累として多賀賢三郎・松原乙七郎・岡野悌五郎・菅野輔吉・岡山茂を捕へて獄に下し、沖太郎の父沖右衞門及び關係者たる嫌疑ありし上坂丈夫を親類預とし、又岡野外龜四郎を東京より檻致せるが、獨首謀者の一人土屋茂助は八月九日その家に自刄し、以て縳に就くを免れたり。茂助は生家を高木氏といひ、出でゝ土屋九内の嗣となりしものなるが、人と爲り嚴肅にして濫に談笑せず、身體魁偉にして機流の槍術を能くせり。茂助その死に臨み國風を遺して志を述べたりき。 君が爲めつくし盡しゝ眞心を後に知るらん世の中の人 死出の山くらき夜すがら迷ふとも迷はじものをものゝふの道 八月九日夜心靜書 赤心報國土屋茂助盛親在判 〔本多政均遭難顚末〕