抑沖太郎等が政均を以て奸邪の徒にして國政を亂すものなりとせる理由は如何。今これをその口供書によりて見るに、政均が自己の權威を擅にし、從來藩侯齊泰・慶寧父子の聰明を蔽ひたるのみならず、又慶寧をして強ひて退隱せしめんと謀りたるが如しとするもの、これその一なり。政均が藩内別に高岡藩を起し、自らその藩知事の地位を獲得せんとすとの風聞ありしもの、これその二なり。元治甲子の變に於ける志士を殛刑に處したるは已むを得ずとするも、彼等は固より憂國の士にして、単に方向を誤りたるものに外ならざるが故に、王政維新の際その子孫に對して寛典あるべきに、政均が重職に在りながらその處置を爲さゞること、これその三なり。專ら西洋の風を摸倣し、古來重要の武器たる弓矢劍槍を廢し、爲に士氣をして懦弱に陷らしめたること、これその四なり。富國強兵の法を講ぜず、財用を匱乏せしめ、物價の騰貴を招き、農民をして困窮の極離叛の心を生ぜしめたるもの、これその五なりと數ふるも、一として具體的の事實を認むること能はず。彼等は舊慣に拘泥する頑固の心を以て、徒らに革新を罪惡なりと思惟せしものゝ如く、その學識素より深遠ならず、天下の大勢に昧かりしが爲に、政均が洋風を鼓吹するを喜ばず、遂にこの凶變を釀すに至りしは惜しむべし。然りといへども、その心情頗る耿然、憂ふる所藩治の上に存して一點私利を射んと欲するにあらざりしことに對しては、彼等も亦國士を以て遇せらるべきものならずんばあらざるなり。 然らば奸邪を以て政均を目するに至りたるは、眞に沖太郎等獨創の見に出でたりや、若しくは彼等が人格の簡樸粗野なるに乘じて窃かに之を操縱する傀儡師ありたりや。彼等の口供書に據れば、この陰謀は實に自己の發意に基づくとなし、上坂丈夫が憂國の士なるを以て悌五郎は同志をして之に面會せしめんことを企てたることあるも故ありて止めりと記し、同志以外一人の密計に參與せるものなしとすれども、石黒圭三郎が岡野外龜四郎より聞きたりとして傳ふる所は之と異にして、この陰謀は第一に慶寧側室の兄久徳傳兵衞の賛成を得、保守黨たる執政前田直信及び舊と家老たりし青山將監悳次二人もまた共に善後の事に任ずべき默契を得たるを以て、沖太郎等をして實行の決意を爲さしむるに至れるなりといへり。圭三郎は外龜四郎と共に元治の變に罪に坐せし人にして、又朋友として互に親善なりき。是を以て外龜四郎は陰謀を圭三郎に告げたりしが、圭三郎は之を輕擧なりとし、沖太郎等をして斷念せしむべきことを外龜四郎に勸告すると共に、己は友誼上秘密を世に漏洩せざるべきを誓ひ、東京に去りて名を桂正直と改め、事件の勃發せる時には公務所に職を奉じたりといへり。是に由りて推測するときは、沖太郎等は元來直信を崇拜すること甚だしかりしを以て、誤りて政均を奸人なりと信じたりしものにして、當時失意の境遇に在りたる久徳傳兵衞及び上坂丈夫等は之に乘じて幾分煽動する所ありしにあらずやと疑はる。又近藤勝綜といふ者あり。井口義平の近親にしてその隣家に住せしが、事變の前義平の擧措平生に異なるものあるを見、屢その妄動するなからんことを戒め、且つ義平の机中より青山・篠原・生駒・上坂等舊人持組に屬したる士の交名書を發見せしかば、義平が彼等と共に政均を怨望するにあらざるかを糺したりしに、義平はその實情の一端を語りて、この計畫たるや實は壯士輩が血氣に逸りて企てたるにはあらず、隱に幇助する有力者あるに因るといへり。勝綜乃ち益その非なる所以を諭せりといへども、義平は毫も耳を傾くるの色なかりしと傳ふ。この談亦同じく、種々の意味に於いて政均を忌むものゝ策動せしことを證するものなり。