五月二十二日慶寧復參朝せしに、天皇數條を擧げて列侯に垂問し給ひ、二十五日慶寧は所見を奉答せり。その祭政一致に關する意見に曰く、謹みて按ずるに、佛教我が國に入りしより世人皇道の昭々たるを知る者鮮く、遂に陵遲して王綱紐を解き武臣擅に跋扈するに至れり。然るに今幸に維新の時に際し、海内の政令一途に歸し、億兆悉く天日を仰ぐを以て、從來邊陲遐陬寺院のあらざるなきが如く、各地に教場を設け有識の教官を置き以て懇切に嚮導する所あらば、庶幾くは治教初めて一致して邪道自ら跡を絶ち、皇威の赫々期して待つべきなり。又蝦夷開拓に關する意見に曰く、蝦夷地の開拓は實に方今焦眉の急務にして一日も因循すべきにあらず。然るに土人の王化に服するなきもの、これ實に官吏輩が目前の利をのみ計りて彼等を愛撫するの念を有せざるによる。臣聞く魯人の治を施すや先づ財と食とを與へ、之に教化を加へ民心を懷柔し、然る後漸次邦土を蠶食すと。此くの如きは能く大利に著目するものと言ふべきなり。今や箱舘の賊已に平定せるを以て、宜しく蝦夷地諸税の收入を擧げて之を土民救恤の資に供し、目前の利害を棄てゝ萬世遠大の計を爲さば、十年を出でずして開拓の法確立するに至るべし。抑土地を拓くは後にして人心を開くは先なり。人心既に開明に赴かば土地自ら發展すること、これ實に當然の理にあらずや。また藩知事の設置に關する意見に曰く、列侯の版籍奉還を許し、政令を天朝に歸し、府藩縣三治の制を立てゝ海内を統御し、諸侯を改めて藩知事に任ずるの朝旨は謹みて之を承服す。又海外の交際に關する意見に曰く、隣國相交るに道を以てすれば四海皆兄弟なり。是を以て朝廷信義を國際に正しくし、卓爾として獨立自主の權を保つを以て、最も時勢に適するの處置となすべし。又歳入歳出に關する意見に曰く、財政の事は局外者を以て之を論ずること至難なりといへども、苟も出納の理由にして明らかなれば、その足らざるときは之を全國に徴し、餘あるときは之を減ずべし。是くの如くならば、人民をして疑惑の念を抱かしむることなくして國用辨ずべきなり。又惡貨淘汰に關する意見に曰く、舊來行はるゝ所の金銀貨幣は、その眞贋を論ずることなく日を刻して悉く一たび之を楮幣と交換せば、嚴令を待たざるも私鑄を絶つを得べく、而して後朝廷更に新貨を鑄造して先に出せる楮幣と交換せば、人民の受くる損害少くして終局の目的を達するを得べし。また内外國債に關する意見に曰く、朝廷現に收むる所の歳入以外別に諸雜税・諸港税等を課せば、新たに國債を起さゞるも尚能く舊債を償ふの途あるにあらざるかと。