十一月三日金澤城番を置き、横山隆平・前田孝敬・奧村榮滋・奧村則友を以て之に任じ、後更に本多政醇を加らしめき。これ藩侯が既に藩知事となれるを以て、將に城郭を出で住邸を他に求めんとせしを以てなり。十三日小松・所口・高岡・魚津に常備兵各二小隊を配置して警備に當らしめ、十四日從來諸士の上納せる兵賦その他諸上納金を止め、又舊例によれば諸士の幼にして父の祿を襲ぐものは十五歳に至るまで原秩三分の一を給し、死因の喪心若しくは自盡に係るものは士籍を除きて子を祿せざりしが、是に至りて皆全額を給することゝし、又士族の陪從たりしものを兵隊に編入し、十八日に至りて藩知事はその家族と共に舊老臣本多氏の廣坂邸に移り住めり。前田齊泰が新居を咏じて、『榮枯甞覺且存書。今日浮沈如轉車。奉還百萬舊封土。終購三千新築居。桑田碧海虚爲實。富貴黄梁實爲虚。縱此人跡印舊路。春到梅花敢不疎。』といへるもの即ち是なり。是に於いて士族の城内に出仕番直するを廢す。