明治四年正月舊老臣横山隆平京都より歸り、藩知事に建議して曰く、現今國家多事の時徒らに豐祿を受けて王事に盡くす所なきは臣民たるの途にあらず。隆平不敏にして文武共に公に奉ずる所なきを以て、願はくは家祿を擧げて之を政府に奉還し、以て聊か微衷を表することを得ん。若しこれに代ふるに一夫相當の給與を以てせられなば、實に望外の恩典たるべしと。隆平は去年二月以降、藩に請ひて京畿に在りしものなるが故に、宇内の大勢と諸藩の事情とを審かにし、因りて大に悟る所ありしなり。その後隆平更に請ふこと再三に及びしも、藩知事は尚姑く從前の如くなるべく、異日衆議公論を經て決すべきことを諭して容れざりき。同月藤内の商業は從來垣内に限りて營むを許したる制を緩め、向後郭外に於いても亦之を行ふを得しむ。唯その住居は尚舊の如く他と相混同するを許さゞりき。