歩(カチ)には定番御歩と六組御歩との別あり。六組御歩は藩侯駕籠先の警衞等を任とし、提灯裁許・鷹方御用・江戸火消道具裁許等の職あり。定番御歩は廣式錠口番毎を職とす。これ等は皆切米取にして、その額三十俵より五十俵に及ぶ。六組御歩は御歩頭に屬し、定番御歩は定番頭に隸す。歩は初め徒と書したりしが、いたづらと讀まるゝ憂あるが故に、前田綱紀の時之を改めたるなりといふ。 算用者と料理人とは、略歩と同列に在り。その知行、算用者は切米四十俵とし、料理人は三十五俵を普通とす。又御細工者あり、切米三十俵より五十俵に至る。 同心は足輕の一種なるを以て、同心足輕とも稱せらる。定番頭附同心・御臺所附同心・横山[藏人]家同心・多賀家同心あり。定番頭附同心の武技は、特に弓銃を練磨せしめ、元祿十一年以前は定番足輕といひしものとす。横山家及び多賀家の同心は、その性質寄親附與力の如く、寄親より俸祿を受くるものにして、前田綱紀の世貞享三年に創設せられ、當時は寄親の邸宅に勤務したるも、中頃藩の用務に服することゝなり、その後再び寄親の邸宅に勤務することゝなれり。但し軍役に就いて寄親の配下に屬することは、前後を通じて變遷あることなし。この外、町同心と稱せられ、町奉行の支配に屬するものもありて、これのみは士分のもの之に當れり。 足輕は輕卒にして、主として弓銃を掌る。足輕の服裝は一刀を帶して、通常袴を着用することなし。蓋し戰國以降の戰術に在りては、弓・銃の必要最も著大なりしを以て、平土中に、弓・銃の操練を專修する者を定めて、射手組及び異風組と稱し、又輕卒に弓之者・鐵炮之者を置きて之に屬せしめたりしといへども、尚數に於いて寡少なるを免れず。是に於いて前田綱紀の世、更に輕卒を増してその缺點を補ひしもの、之を大組・中組・先手組の足輕と爲す。大組は鐵炮を專とする者にして、延寶二年四月初めて三隊を置き、大組頭三人之を率ゆ。中組は一に持方足輕とも稱せらるゝものにして、延寶八年十月三隊を置き、天和中増して七隊とす。その中弓を掌るもの三隊、銃を有するもの四隊ありて、持弓頭三人・持筒頭四人之を率ゆ。先手組は、先に弓之者・鐵炮之者といひしものなるが、貞享三年十一月規模を整へて弓七隊・銃十四隊とし、その隊長たる先弓頭は弓一隊を、先筒頭は銃二隊を指揮せり。これ先手組の足輕は人持組に屬するものにして、人持組の數は七隊なるが故に、之に分屬せしむるに便なる隊數を採りしなり。大組と中組との俸祿は平二十五俵・小頭三十五俵とし、先手組は平二十俵・小頭三十俵とす。その他割場附五十組あり。御留守居附三組あり。定番附(同心)四組あり。聞番附四組あり。公事場・普請會所・作事所・算用場・細工所以下諸奉行附、その他遠所駐在の者ありて庶務を掌り、別宮・木滑・河原山等國境の警備に任ずる者あり。その種類と員數と甚だ多し。