御坊主は殿中に於ける使价の徒なり。服裝は袴を穿たずして羽織を着、小刀一腰を帶し、剃髮す。唯御坊主頭のみは兩刀を帶し、束髮を許さるといへども、その多くは老年にして既に禿頭なるを以て、附髮を作り鬢附油にて定着せしむ。御坊主の俸祿は普通二十俵とし、御坊主小頭は四十俵三人扶持とす。御坊主にして束髮を命ぜられたるは、前田綱紀の時松尾といふものありしに起り、享保八年前田吉徳の時、大槻朝元も亦束髮を命ぜられしことあり。但し藩末に在りては、御坊主頭に附髮のものありたるのみ。八家の中本多氏と長氏とに、小坊主と稱して束髮せるものありしは、束髮坊主の遺風なるべしといはる。御坊主中茶道に關する事務を掌るを御茶堂といひ、御茶道の義なり。又御茶堂頭あり、御坊主頭と共に平士並に待遇を受く。 仲間小者とは雜役に服する雇傭者の總稱なり。そのうち仲間は小者の上位を占むるものにして、一に馬捕とも稱し、藩侯の御召馬及び藩の貸馬・賃馬の口捕を掌り、御馬奉行に屬す。小者はまた三十人組小者・御長柄小者・御小人に別たる。三十人組小者は普通三十人とも御手廻ともいはれ、三十人頭に屬し、或は陸尺と稱して藩侯の乘物舁を職とし、或は藩侯の槍を捧げ、挾箱を擔ひ、草履を取り、臺傘・立笠を運ぶ等の役に從ひ、陸尺にして老年に達したるものは役濟といひて露地に關することに使役せらる。又御長柄小者は御長柄奉行に率ゐられ、鳥毛の鞘を附したる二間半柄の槍を捧ぐ。御小人は元來小者のことなるも、加賀藩には小者中に御小人と稱する一種ありて御小人頭に屬し、茶辨當・矢箱・提灯等の運搬に當る。その他各役所に小遣小者・掃除小者あり。是等は平素皆帶刀せずといへども、公式の場合には脇差を帶す。 士人は、その知行高に準じて、平素一定の武具と臣隸とを有し、一朝事ある時直に出陣し得るの準備なかるべからず。而してその初めて成文の法により、之が割合を示されたるは、前田利常の時元和二年九月十一日に在り。 加賀知行御軍役之覺 一、一萬石のぼり七本、馬上二十騎、小馬じるし一本、鐵炮二十五丁、弓五張、鑓五十本持鑓共に。 一、七千石のぼり五本、馬上十四騎、小馬じるし一本、鐵炮十八丁、弓三張、鑓三十五本持鑓共に。 一、五千石のぼり三本、馬上十騎、小馬じるし一本、鐵炮十三丁、弓二張、鑓二十五本持鑓共に。 一、四千石のぼり三本、馬上六騎、鐵炮十丁、弓二張、鑓二十本持鑓共に。 一、三千石のぼり二本、馬上四騎、鐵炮八丁、弓一張、鑓十五本持鑓共に。 一、二千石のぼり一本、馬上二騎、鐵炮六丁、鑓十本持鑓共に。 一、千石のぼり一本、馬上一騎、鑓五本持鑓共に。 一、五百石鐵炮一丁、鑓三本持鑓共に。 能登越中知行御軍役之覺 一、一萬石のぼり七本、馬上十五騎、小馬じるし一本、鐵炮二十丁、弓五張、鑓四十本持鑓共に。 一、七千石のぼり五本、馬上十騎、小馬じるし一本、鐵炮十四丁、弓三張、鑓三十本持鑓共に。 一、五千石のぼり三本、馬上七騎、小馬じるし一本、鐵炮十丁、弓二張、鑓二十本持鑓共に。 一、四千石のぼり三本、馬上四騎、鐵炮八丁、弓二張、鑓十五本持鑓共に。 一、三千石のぼり二本、馬上三騎、鐵炮六丁、弓一張、鑓十二本持鑓共に。 一、千石のぼり一本、鐵炮二丁、鑓四本持鑓共に。 一、五百石鐵炮一丁、鑓二本持鑓共に。 以上 右最前兩度之就御陣、御家中諸道具いづれも損申由候之條、連々を以可致用意之旨被仰出者也。 元和二年九月十一日 〔兵賦考略〕