凡そ藩侯に仕へて役務に從ふもの、上は年寄・家老の貴より、下は仲間・小者の賤に至るまで、皆その俸祿を受けざることなく、而して俸祿の種類に知行あり、切米あり、扶持米あり、合力米ありて、或は實際收納の表高(オモテ)と等しからざるものあり、或は全然同一なるものあり。その制複雜多岐にして甚だ解し易からず。今之が大體に就きて説明を試みんとす。 前田利家の頃にありては、知行の折紙高と同額なる草高を與へ、而して之が租率は、その地の慣習に基づき、給人百姓相對にて協定したるを以て、知行所附には免相を記載することなかりき。左記は即ちその例にして、給人奧野與兵衞は折紙高五千俵を受けたるものとし、之に對して草高五千二十八俵四斗二升二合の地を與へたるものなるが故に、その二十八俵四斗二升二合は特に優遇せられたるものなるが如し。 領地方 三千俵下町(鳳至郡)のゝ内 二百一表一斗六升八合わじまぐみ塚田村 四百三表三合同宅田村 三百十九表四斗八升同やち村 二百八十五表二升中町のゝ内十郎が原 百七十一表三斗七升九合ひ(ふ)げし町ぐみ小池村 二百四十二表四斗七升三合河井ぐみ二屋村 百卅八表九升一合仁岸之内竹ノ町 百八十四表三斗八升七合同大がま村 八十一表四斗二升同木原月村 以上五千廿八表四斗二升二合(一合カ) 廿八表四斗二升二合餘 右山川竹木・川役・よし・かや・野除之、可知行状如件。 天正十九年十月廿六日印(前田利家) 奧(奧野)與兵衞殿 〔奧野文書〕