知行所附の末文には山川竹木を除くと記さる。これ知行は釆地を以て給せらるゝ法なるが故に、山川竹木も亦之を領知すべきが如しといへども、此等に對する課税は、山手・川役・船役等と稻し、一般に小物成の名に總括せられて、藩の得分となるべきものなるを以て、之を給人の所得より除きたるなり。所附には口米と夫銀との額を記さず。これ一藩を通じて一定の率に從ふべきものなればなり。 かくて給人の收納する比率は、一般に加賀に在りては三ッ六歩、能登・越中に在りては四ッ一歩となれりといへども、この免相によるものは、年寄以下平士(組外を除く)に至るまでの班列にあるものにして、平士たる組外、平士並たる儒者・醫者・坊主頭・茶堂頭、及び與力等の場合には一歩を減じ、加賀は免三ッ五歩、能登・越中は四ッの割合を以て給せらる。歩・鷹匠・算用者・料理人・細工者・大工等の知行を受くるもの亦之に同じ。この制は明暦二年に定められたる所にして、前者を上免といふに對して、後者を下免といへり。 下免を給せらるゝ與力の中、寄親附與力と稱せらるゝ者にありては、年寄又は人持組の士がその知行を割きて與力に與ふるものなるが故に、己の受くべき上免と、與力に與ふる下免との差なる一歩、即ち與力知草高の百分の一に該當する定納・口米は、之を寄親たる年寄又は人持組の士の所得とせらる。與力知を給する土地の加越能三國に於ける割合及び所附は、寄親の隨意に決する所にして、與力明知も亦自己の知行所の内何れの地なりとも、自由に撰定して上り知となすことを得べく、その明知に對する一歩免も亦寄親に給せらる。與力明知とは、例へば今枝氏は知行一萬四千石にして、内三千五百石を與力知と定めらるゝも、實際に於いてその全額を給する人員の與力を召抱ふることなきを普通とし、藩末には千百六十石を受くる與力を有するに止れるが故に、殘餘二千三百四十石の知行所は、之を藩に上納せるものにして、この二千三百四十石は即ち與力明知なり。藩士中、横山(藏人)及び多賀の二家に在りては、寄親附與力と同性質の同心を有すべき義務あるが故に、その同心知に對する一歩免の定納・口米は、亦寄親に給せられたり。寄親より與力に分與する知行所附の例は、次に掲ぐるが如し。宛名の與力藤澤三九郎は、知行百五十石を受くるものとす。