加賀藩の最高裁判所を公事場と稱し、民事刑事の訴訟を取扱ひ、牢獄ありて之に屬す。牢獄の側に死刑執行場あり、之を刑法場といひ、俗に御仕置場ともいへり。公事場の名目は、慶長十八年八月の定書に、『公事場へ出る者誰々によらず、刀・脇差を置可罷出事。』とあるを初見とし、藩末に至るまで繼續したり。又目安場あり。目安箱を備へて投書せしめ、下情を上達せしむるを主なる目的とせりといへども、亦幾分の司法事務を執行せしが如し。この名稱は、寛永五年八月の定書に見ゆるも、後廢せられたるが故に、その施設の詳を得ること能はず。