公事場奉行以下が、裁判の爲に登廳する定日を公事場式日と稱し、萬治元年の規定によれば、毎月二日・八日・十四日・廿一日・廿六日を以てせしが、寛政の領よりは二日・七日・十三日・廿一日・廿七日とせり。但し事態の急を要する場合に在りては、式日以外といへども尚開廷することあり。又藩侯の居城を發駕する日には式日を廢すといへども、江戸發駕の日はこの限にあらず。公子女の金澤を出發し、又はその祝日に當る時も式日を廢せり。公事場に屬する牢獄の鎖鑰は、金澤町奉行の保管する所なるを以て、式日毎に之を持參するの慣例なり。 庶民の間に起れる犯罪は、その輕きは町奉行又は郡奉行直に之を處分し、重きは町奉行に屬する町會所の牢屋に於いて拘禁し、又郡奉行の所管に屬するものは町會所の牢若しくは川下牢屋に假に収容し、各その白洲に於いて豫審を終へたる後、公事場の牢に轉送して公事場奉行の裁判に委す。盜賊改方の檢擧せるものも、初は亦豫審の後公事場に致すを常とせりといへども、後には概ね川下牢屋に於いて刑を執行することゝなりしかば、文政七年二月公事場に送附するを要する罪種を規定せり。川下牢屋と稱するは、盜賊改方奉行の所管にして、その配下が捕縳したるものを收容する所とし、犀川の下流石川郡向増泉なる藤内頭仁藏の邸地に設け、之が監視を仁藏・三右衞門の二人に委任せしものなり。故に又仁藏の牢屋とも稱し、牢番人は藤内之に當る。盜賊改方奉行は、元祿四年二月の創設に係るといへば、川下牢屋も亦その頃より起りしなるべし。 犯罪者を搜査逮捕するは、盜賊改方奉行等の職掌なりといへども、一面又士民の告發に待ち、若しくは犯罪者の自首を促すを利便とするものあり。是を以て藩は高札を樞要の地に建設し、以て訴人の奬勵に努めたりき。高札の文面は、時代によりて差あり。 高札 一、辻ぎりの事。 一、札を立、並おとし文之事。 一、夜中に於路頭に女をとらふる事。 右條々狼籍人之事、前後共に同類なりといふとも、告知らするにおゐては、褒美として金子貳拾枚可出之。 並惡黨人之知行、則可宛行者也。 慶長十年六月十七日在判 〔御定書〕 ○ 覺 銀子百五拾枚 一、火つけ。 一、惡事に付徒黨をむすぶもの。 一、大罪のかけおち人。 一、がうたう。 一、辻切、附おひはぎ。 一、どくがい。 一、人うりかひ。 銀子五拾枚 一、にせがね。 一、おどし文、附はりぶみ。 右之通訴人に出るにおゐては、たとひ同類たりといふとも、其科御赦免、御ほうび被下之。其上以來迄あだをなさぬやうに仰付らるべし、銀子は公事場にて可相渡者也。 延寶二年十一月日岡島兵庫 菊池十六郎 〔御定書〕