公事場に於ける犯罪の裁判は、初は式日毎に年寄一人必ず出廷して訊問に與り、年寄中の協議によりて、判決を與へたりしが、萬治の頃より、前田綱紀の親裁主義に基づき、凡べて藩侯の下知を仰がざるべからざることゝなり、元祿七年に至りては、年寄の訊問に與ることを廢し、毎月二十七日出座して、訊問の終結せる犯罪者に面接し、口書の讀上を聽取したる後、藩侯に上申することゝせり。但し更に後世に至りては、政務の多端となれる結果、輕易なる事件に就いては、藩侯の指揮を待たず、年寄限り判決することありき。犯罪者若し士人なる時は、藩の初期には、年寄中皆列座して裁判を監せしが、後與力・歩等の下級者には、年寄中一人のみ出座することゝなれり。訊問の方法は、口頭にてするを詮議といひ、痛苦を與へて事實を白状せしむるを吟味といふ。吟味は藤内之を行ひ、竹刀を以て頭又は耳を打つもの、棒を以て臀部を打つもの、二本の棒を以て脚部を挾窄するものゝ三種あり。更に進んで責道具を用ふるときは、之を拷問と稱す。